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過越の祭を呼びかけたヒゼキヤ王

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54. 過越の祭を呼びかけたヒゼキヤ王

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 30章1節~27節

ベレーシート

  • 強国アッシリヤによって、北イスラエルの人々がアッシリヤの脅威にさらされている最中に南ユダのエルサレムに集まって、ソロモン時代以降途絶えていた「過越の祭」をしようというヒゼキヤの呼びかけは、一見非常識のように見えます。むしろ常識的には、アッシリヤに対する何らかの政治的戦略が求められて当然です。ところがヒゼキヤ王のしたことは徹底的に神中心です。政治的・軍事的備えではなく、神の律法に従って「祭り」をしようと言うのですから、危機的なリスクの多い選択です。父アハズはこのリスクに耐えることができませんでした。したがって、こうした信仰的呼びかけにはそれなりの説得力が必要ですが、ヒゼキヤはその動機づけを持っていたのです。
  • ここでの「祭り」は、ヘブル語の「ペサハ」(פֶּסַח)です。新改訳は「過越のささげもの」と訳し、口語訳は「過越の祭」と訳し、新共同訳では「過越祭」と訳しています。いずれも、原語は「ペサハ」(פֶּסַח)です。ソロモン以降、イスラエルは北と南に分裂した結果、この祭りを祝うことができませんでした。

1. ヒゼキヤの呼びかけの真意

  • ヒゼキヤ王の呼びかけの真意は、一発的な、伝統的な祭りを多くの人々が集まってしようという単純なものではありません。彼の呼びかけは、イスラエルの民のアイデンティティを回復することでした。神の律法に従うことによる礼拝の回復に次ぐ、民族的アイデンティティーの回復の取り組みでした。
  • ヒゼキヤの呼びかけのキーワードは、「主に立ち返る」という呼びかけです。そうすれば、主が帰って来てくださるという信仰。これこそあらゆる時代における神の民に対する呼びかけです。ちなみに、「立ち返る」も「帰る」も原語は同じく「シューヴ」(שׁוּב)です。

    画像の説明

  • イェシュアの公生涯において、最初の呼びかけは「悔い改めよ。天の御国は近づいたから。」でした。ヘブル語では「悔い改めよ」も「立ち返れ」も、同じく「シューヴ」(שׁוּב)の命令形「シューヴー」(שׁוּבוּ)です。30章には6節に1回、9節に2回使われています。
  • イスラエルの民の存在のルーツとしての「ペサハ」(פֶּסַח)を挙行することで、北イスラエルと南ユダの民が、本来の神への信仰に立ち返ること、それがヒゼキヤの呼びかけの真意でした。このことがユダの人々に受け入れられ、第二の月に「ペサハ」を行うことが決議されました。本来の「ペサハ」は第一の月の第14日に行われるはずですが、それを行なうための十分な準備ができていなかったために、第二の月に行ったのでした。民数記9章10~11節によれば、通常の月に行うことが出来ない場合、例外的な処置として、第二の月に行うことができることが記されています。

2. ヒゼキヤの呼びかけに応えた北イスラエルの人々

  • ユダの近衛兵(口語訳は「飛脚たち」、新共同訳は「急使」)は、王の手紙をもってイスラエルとユダの全土(ベエル・シェバからダンまで)を行き巡り、アブラハム、イサク、イスラエルの神、主に立ち返り、主に服従し、主に仕えるよう呼びかけました。そうすれば、すでにアッシリヤのとりことなった人々は帰ってくることができること、そして、主は決して御顔をそむけるようなことがないことを町から町へと行き巡って伝えたのです。ところが、北イスラエルの人々は彼らを物笑いにし、あざけりました。
  • ところが、伝言を聞いて王の呼びかけに応えた人々がいました。その人々とは、アシェル、マナセ、ゼブルン、エフライム、イッサカルの人々でした。しかしペサハに参加した人々は、アシェルを除いて、みな身をきよめる(聖別する)ことをしておらず、しかも神の律法に記されている方法とは異なったやり方でペサハの食べ物を食べたために、ヒゼキヤ王は彼らのために祈ります。それによって彼らはいやされたとあります(17~20節)。
  • 彼らは心を定めて主を求めはしましたが、神の方法ではなく、異なった方法でしようとしました。このことは、どんなに神に熱心であったとしても、神の定める正しい方法を知らなければ無意味であることを教えています。神の教えに対する無知は、神を喜ばすことが出来ません。ダビデも神の契約の箱をキルアテ・エアリムからエルサレムに運ぼうとしたとき、神の定めた方法でそのことをしなかったために、運搬役のウザが死んだ話は有名です。ダビデは神の方法を学び直して、再度、神の方法で契約の箱をエルサレムに運び入れたのでした。正しいみことばの知識に基づく熱心さが大切です。

3. 特筆すべきアシェルの人々

  • 北イスラエルからエルサレムに来た人々の中で、アシェルの人々だけが正しい方法をもってペサハに参加したことは特筆すべきことです。歴代誌はこのことについて、注意を引くような形では記していませんが、暗示していると言えます。
  • ルカはイェシュアを祝福したシメオンと同時に、「アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた」と記しています。ここに登場するアンナという人物が「アセル」(ヘブル語では「アシェル」)族の出身であるということが重要なのです。
  • イスラエルの歴史において、「アシェル族」出身で特に名を挙げた人物はおりません。しかしイェシュアの時代にアンナという女預言者が登場していることは注目すべきことです。シメオンにしてもユダ族の中に吸収されてしまった部族です。そうした部族の出身の者が、幼子イェシュアこそ約束されたメシアであると悟ったことは神の不思議なご計画です。特に、アシェル族のアンナはイスラエルの中でも「秘蔵っ子」の子孫なのです。その彼女がエルサレムで長い間、神殿から離れることなく、断食と祈りをもって、昼も夜も神に仕えていたのです。このことについての詳しいことは、こちらを参照のこと。


2014.4.16


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