霊性の回復の助け主
12. 霊性の回復の助け主
1. イエスの不思議な語りかけ
- 霊性の回復の鍵は、神の賜物として与えられる聖霊なる方と私たちがどうかかわるかにかかっています。主イエスは「もしあなたが神の賜物を知っているなら、あなたの方から求めたことでしょう。」とサマリヤの女性に言われました(ヨハネ4:10)。このことばの裏には、「神の賜物がどんなにすばらしい賜物であるか無知であるために、あなたは自ら求めることをしないのだ。求めるならば、それが無限に与えられるのだ」というメッセージが隠されています。
- 主イエスは「神の賜物」(※)を「生ける水」にたとえました。「生ける水」とは、神と私たちとの永遠の愛のかかわりを豊かにするいのちを意味しています。御子イエスの生涯には常にこの御霊が寄り添っておられました。ですから、御父のことばをあふれるばかりに語ることができたのです。御霊が御父と御子の愛のかかわりを支えたように、その方は神と私たちとのかかわりをも支え、かつしっかりと建て上げてくださる助言者、共感者、受容者、そして援助者なのです。
2. 神の賜物である聖霊との生きたかかわり
- しかし、神の賜物である聖霊はとても紳士な方であるゆえに、私たちの同意なしには働くことができません。たとえ私たちが信仰告白へと導かれたとしても、その方の働きを私たちが同意することなしには、信仰者として必要なすべての知恵、力、愛が豊かに与えられることはできません。神の賜物である御霊が私たちにしっかりと寄り添ってくださっているということに感謝し、その方の存在を認め、受け入れ、その方の助けを絶えず求めなければなりません。
- 人格(神の場合はペルソナー位格)的存在は、その存在が認められ、受け入れられ、愛されることを通してはじめて輝き出し、その存在に秘められている力を発揮することができます。神の賜物である聖霊はそのような存在なのです。ですから、「もしあなたが神の賜物を知っているなら、あなたの方から求めたことでしょう」というのはなんと真実で、奥深いことばであるかが分かります。神の賜物である聖霊は、すでに御子・イエス・キリストを信じてかかわりをもった者すべての者に例外なく与えられているのですが、私たちはこの方についてどれほどのことを知っていることでしょうか。どれほど深くこの方とのかかわりを自覚的に持とうとしていることでしょうか。
- 私たちは、御父が、あるいは御子が与えてくださる「神の賜物」について深く知らなければなりません。もし私たちがこの方を日々歓迎してみことばにふれて行くならば、おそらく「目からうろこが落ちる」という経験を絶えずするようになると信じます。ですから、神の賜物である聖霊なる方の存在を認めるだけでなく、心から歓迎し、助けを仰ぎつつ、絶えずその方によっていつも霊とたましいが満たされている必要があります。初代教会のキリスト者は「聖霊に満たされている」ことが決して特別なことではなく、標準的なことであったのです。果たして、私たちは聖霊に満たされることを求め、歓迎しているかどうか、そこに私たちが「霊の人」として生かされていくかどうかの分かれ道があるように思います。
※
- ここで使われている「賜物」は、「カリスマ」χαρισμαではなく、「ドーレア」δωρεάです。新約では11回使われています。
①使徒2:38「悔い改め・・イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
②使徒8:20「・・・あなたは金で神の賜物を手に入れようと思っているからです。」
③使徒10:45「・・異邦人にも聖霊の賜物が注がれたので驚いた。」
④使徒11:17「・・私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが神のなさることを妨げることができましょう。」
⑤Ⅱコリント9:15「ことばに表わせないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。」
⑥エペソ3:7「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。」
⑦エペソ4:7「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。」
・・・など。
- 一方の「カリスマ」χαρισμαとしての「賜物」は新約聖書で17回使われています。その第一の意味は、愛のかかわりとしてのギフト、つまり「永遠のいのち」です。ロマ6:23「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」とあります。イスラエルの民に対する「神の賜物」も変わることがないのです(ローマ11:29)。
- 「カリスマ」としての賜物のもうひとつの意味は、キリストの教会を建て上げるために与えられている超自然的な能力です。「聖霊の賜物」とも言われます。キリストのからだであるひとりひとりはみなそれぞれ異なった「賜物」(カリスマ)が与えられています。私たちはそれぞれ自分に与えられているカリスマが何であるかを知り、それを主の栄光のために正しく管理して用いなければなりません。ローマ12:5~8、Ⅰコリント12:7~11, 28~31、Ⅰペテロ4:10、Ⅰテモテ4:14、Ⅱテモテ1:6に言及されています。
2011.2.16
a:5720 t:2 y:1