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2.バビロン捕囚とエルサレムの陥落

歴史書(2)」の目次

序2. バビロン捕囚とエルサレム陥落

第一次捕囚・・B.C. 605

  • バビロニヤ帝国による最初の捕囚は、ユダのエホヤキム王の第3年(前605年)に始まった(ダニ1章1節、Ⅱ歴代誌36章)。ユダはバビロンの属国となった。エルサレムはバビロンの王子ネブカデネザルによって占領されかかったが、急遽、戴冠のためにバビロンに戻らなければならないかった。このときネブカデネザルは、ユダの王族の一人であるダニエルら有能な少数の者たちを人質として連れ帰った。しかし3年後にエジプトの援助によってユダは独立を取り戻した(かに見えた)。そしてそれから3年後、ネブカデネザルの軍が再びエルサレムへ攻めてきた。

第二次捕囚・・B.C. 597 (これを第一次捕囚とする者も多い)

  • エホヤキムの死後、エホヤキンが王位につくが、わずか三ヶ月でバビロンの王ネブカデネザルとその軍隊によるエルサレムの包囲攻撃にあい、エホヤキンは投降する(Ⅱ列王記24章12~17節、エレミヤ27章16節~)。ユダ王国の上層階級―王エホヤキンを始め、その家族、軍人、職人等の1万人がバビロンの地に連れ去られ、神殿と王宮の財産のすべても奪われた。この出来事を第一次バビロン捕囚と言う者が多い。ネブカデネザル王はエホヤキンに代わってゼデキヤをユダの王(傀儡王)とした(11年間)。この間に預言者エレミヤが活躍する。ゼデキヤ即位の二年後当たり(BC.595)に、バビロンで反乱が生じ、捕囚の民の 中から偽預言者が起こって、バビロンの滅亡が近いと同胞をあおったことで逮捕され、処刑されるという事件が起こった。その知らせを聞いたエレミヤはバビロンにいる同胞に手紙を送り、偽預言者の煽動に乗らないように警告し、むしろバビロンのために平安を祈ることを勧める。なぜなら、主による解放と回復の時は、「70年」が満ちてから来るので、それまで捕囚地において平静にして主を待ち望むよう警告した。(脚注) エレミヤ書29章にはそのいきさつは詳しく記されている。このようなエレミヤの言動は、ゼデキヤ王の下にいた熱狂的な親エジプト派の憎しみを買うこととなった。

第三次捕囚・・B.C. 586 (これがバビロン捕囚の代表的な出来事である)

  • 預言者エレミヤの警告は、バビロンのくびきを従順に負うこと、決して反抗してはならない、というものであった。しかしその警告は無視されるかたちとなった。ゼデキヤ王はバビロンに反抗したため、捕らえられ、彼の子どもたちは彼の前で殺され、彼自身も両眼をえぐり取られ、鎖につながれたままバビロンへ連れて行かれた。エルサレムは陥落し、神殿は火で焼かれ、周囲の城壁はことごとく破壊された。老若男女を問わず多くの者が虐殺された。貧民を除く、すべての者たちがことごとくバビロン捕囚という憂き目に遭ったのである(Ⅱ列王記24章8~17節、エレミヤ52章17~23節)

第四次捕囚・・B.C. 583

  • エレミヤ書52章30節参照。捕囚人数は少ないが、おそらくこれは正式な兵士の数と考えられる。

    


脚注

  • エレミヤの70年の解釈として、いろいろな考え方がある。最初の捕囚をBC.605とし、捕囚からの帰還をBC.536とすれば、およそ70年になる。別の解釈によると、BC.586年のエルサレム崩壊とBC 515年の第2神殿の完成の間の年数であると言う。70という数は聖書では「完全数」なので、象徴的意味として理解し、あまり数学的正確さにとらわれなくてもよいとする見解もある。しかし、ヨシヤ王が死んだ年のBC.609年から、ペルシャの王クロスによってユダの民が捕囚から解放されたBC.539年までが、丁度70年になる。神の民が完全にリセットされるために実際に70年の歳月を要したのである。なぜ、ヨシヤ王の死んだ年から70年なのかが実は重要なのである。つまりヨシヤ王の死は神の視点からするときわめて深い意味をもった出来事だったのである。

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