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Ps10その他(2)

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「悪者」という存在


  • 詩篇に登場する「悪者」(ラーシャーרָשָׁע)ということばは、旧約で263回、詩篇では82回。ヨブ記(26回)、箴言(77回)と知恵文学の特愛用語です。「ラーシャー」רָשָׁעは形容詞です。英語ではThe wickedと訳されます。
  • 詩篇では、詩篇37篇の中に13回、次いで「アルファベット詩篇」の詩篇9と10篇において、あわせて8回使われています(9:5, 16, 17/10:2, 3, 4, 13, 15)。
  • 詩篇10篇だけを見ても、「悪者」についてのかなり詳細な観察が見られます。

    (1) 「高ぶって、悩む人に追い迫る」
    (2) 「おのれの心の欲望を誇る」
    (3) 「主をのろう、また侮る」(「悪者」が「貪欲な者」と言い換えられている)
    (4) 「高慢を顔に表して、神を尋ね求めない」
    (5) 「その思いは『神はいない』の一言に尽きる」
    (6) 「その道はいつも栄え、神のさばきは目に、はいらない。敵という敵を吹き飛ばす」
    (7) 「心の中で言う。『私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわいに会わない』と」
    (8) 「その口は、のろいと欺きとしいたげに満ちている」
    (9) 「その舌の裏には、害毒と悪意がある」
    (10)「その目は、不幸な人をねらっている」
    (11)「心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ』と」
    (12)「神を侮り、心の中で『神は追い求めない』と言っている」

  • 「心の中で言う」というフレーズが3回ありますが、人は心に考えていることを口に出すものです。ここにある「言う」とは、将来を見据えて、理性的に考えて自分で決断し、計画したりすることです。このように、「悪者」は、根本的に、神を恐れず、神を侮り、「神はいない」と信じ、神を計算に入れずに生きようと心の中で決心している者です。
  • そうした「悪者」がはびこる「地的現実」の中で、最も犠牲になるのが社会的弱者たちです。作者はそうした者たちと連帯しつつ、人間が彼らを脅かすことができないように、神がかばってくださると確信しています。
  • イエスはルカの福音書12章15節以降でこんな話をされました。

    【新改訳改訂第3版】

    12:15「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
    16 それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
    12:20 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

  • 面白いことに、イエスのたとえ話にある「愚か者」も、詩篇の「悪者」と同様に、心の中で考え、自分のたましいに向かって語って、「これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」と言っていることです。

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