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Ps48の「かかわりの構造」

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Ps48a



Ps48b

「主」、「神」

  • 「主」(1節)、「大いなる方」(1節)、「大いにほめたたえられるべき方」(1節)、「万軍の主」(8節)、神(9, 10, 14節)

「私たち」(8節、9節、14節)「われら」(1節、14節)


人称なき存在の声(12~13節)


神に敵対する「王たち」(4, 5節)

  • この詩篇の特徴は、神である主の臨在する場所にスポットが当てられています。主である神の臨在の場所は「聖なる山」、「神の都」、「シオンの山」、「大王の山」とも呼ばれます。都の中には王の宮殿があります。神に逆らう王たちは神の臨在する都に入ることはできません。この聖なる場所における神の誉れは、地の果てにまで及んでいます(10節)。このように、神の都には王の宮殿があり、その中に神の民が存在しています。
  • この詩篇のキーワードは、神の民が神の都の宮殿の中で、「あなたの恵みを思い巡ら」(9節)しているということです。また、12,13節には人称なき存在(御霊)が神の民に「シオンを巡り、その回りを歩け。そのやぐらを数えよ。その城壁に心を留めよ。その宮殿を巡り歩け。」と命じています。なにゆえに「巡り、歩き、数え、心を留め、巡り歩く」のか。その目的は、「後の時代に語り伝えるため」(13節)です。「後の時代に語り伝える」べき内容とはなんでしょう。それは神の恵み(ヘセドー神の不変の愛、確固とした愛、ゆるぎない愛)、および、神と民との麗しい親しいかかわりを伝えるためです。神の支配による神の都は、単に神だけが存在するだけでなく、そこには神の民が共に住みます。この愛と信頼のかかわりが存在する都には、敵の入る隙は少しもありません。そうした祝福へと「神は私たちをとこしえに導かれる」(14節)方なのです。しかもそこには、「喜びと楽しみ」(11節)があるのです。
  • 神の臨在の場所には二つの次元があります。
  • ひとつは、キリスト再臨後この地上において、やがて眼に見える形において、エルサレムを中心としたメシア王国、すなわち千年王国が実現します。そこは「王と民たち」、「神と神の民たち」が住まう場所です。もうひとつの次元は、霊的な意味における神の都、神の神殿がキリストを信じる者たちのうちにあります。神殿は私たちの身体です。そこには神とのゆるぎない交わりが存在しています。神の国(神の支配)はすでに私たちのうちに始まっているのです。
  • それゆえ、使徒パウロは、Ⅰコリント3:16で「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っていることを知らないのですか。」と言っています。(この「知らないのですか」というのはパウロの常套句で、「ぜひ知ってほしい」という意味です。)。また、Ⅰコリント6:19, 20でも「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まわれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」と語っています。
  • 私たちのからだが神の住まわれる宮(神殿)であると知ることは重要なことです。この世において、私たちが神と交わる場所は私自身のからだなのです。そしてそのからだは完全に贖われる(変えられる)のです。

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