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パウロのとりなしのkeyword<3>Thanksgiving

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B-11. パウロのとりなしのkeyword <3> 

Thanksgiving

とりなす相手のことを神に感謝すること

  • パウロは書簡の中で決まって宛先の人々のことを神に感謝している(ガラテヤ書を除いて)。と同時に、人々に対しても「すべてのことについて」「いつも、常に」「主にあって」父なる神に感謝するように命じている。特に、コロサイ人への手紙の中には数多く、神に「感謝しなさい」「感謝する人になりなさい」と命じている。()  
  • 礼拝の中で、私たちは「感謝と賛美を携え主の御前に進み」と歌う。なぜなら<感謝のいけにえ>をもたずして神を礼拝することはできないからである。感謝することがこれほどまでに大切な理由とは何であろうか。

(1) 神に栄光を帰すため

  • 第一にパウロが必ず感謝しているのは、すべては神からはじまり、神を通して、神へと至ることを知って、神に栄光を帰すためである。その内容は様々である。

    ①「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」(ローマ1章8節)
    ②「あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてのことにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです」(Ⅰコリント1章4節)
    ③「イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて」(エペソ1章15節、コロサイ1章3節)
    ④「最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来た」ことのゆえに (ピリピ1章3節)
    ⑤「信仰の働き、愛の労苦、主イエス・キリストへの望みの忍耐のゆえに」(Ⅰテサロニケ1章3節)「神の使信のことばを受けたとき、人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばして受け入れたこと」(Ⅰテサロニケ2章13節)
    ⑥「あなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたの間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。」 (Ⅱテサロニケ1章3節)
    ⑦「あなた(テモテ)の純粋な信仰のゆえに」 (Ⅱテモテ1章4節)
    ⑧「主イエスに対するあなた(ピレモン)が抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛について聞いているからです。」ピレモン5節)

  • これらを綜合すると何が見えてくるだろうか。

(2) 不平不満、つぶやきというサタンの要塞を打ち砕くため

  • 一番の大きな理由は、私たちの心に人に対する不平不満やつぶやきという足場をサタンに与えないためである。それらはその人の心に要塞となって、神が備えておられる恵みを受け取らせなくしてしまう。人間的に見て、たとえ感謝できないような状況の中でも、神の大いなる愛の御手の中にあることを信じて口で感謝するとき、敵の要塞は崩され、今まで見えなかった神の恵みの御手を見ることができるようになるのである。

(3) 神からの良いものを受け取るため

  • 私たちが父なる神に感謝をささげるとき、それは父が良いお方であることを告白していることになる。感謝することは、天の父が子である私たちに良いものしか与えることのできない方であることを宣言することである。また感謝することによって、神によって選ばれたクリスチャン一人一人の良い面が見えてくるのである。このように感謝することは、現状の様々な局面の中から「ほんとうに良いものを見分ける」ことなのである。
  • 〔ポイント〕・・・自分に関わる人のために、相手のために、まず、主にあって、感謝することから始めよう !! 
  • また、自分自身の生活の中のあらゆる祝福を自覚し、それを神の御前で感謝の心を言い表してみよう。

    ①霊的な祝福・・・・・・神にある立場とその祝福、神の導き、神の守り・等
    ②物質的な祝福・・・・・神が必要なすべてのものに満たし、与えてくださることについて
    ③身体の健康の祝福・・・健康であること、目が見え、耳が聞こえることについても
    ④外的な祝福・・・・・・神の様々な働きの領域についての感謝


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  • ある人は「感謝はキリスト者の品性の最高美である」と述べている。感謝といっても、イエスのたとえ話しに出てくるように「私は・・する者ではなく、・・の人のようではことを感謝します」という悪い意味の感謝もある。「感謝する」ということばはユーカリステオーευχαριστεωという語(動詞)が38回使われている。名詞は15回。この語は新約聖書における新語である。この語は神が御子イエスを通して与えられる恵みに対する人間の応答としての独自性を持っている。
  • 特に、コロサイ人への手紙に中には、「感謝」ということばが6回使われており、他の書にはない特徴をもっている。動詞のユーカリステオーευχαριστεωは、3回(1章3節、1章12節、3章17節)、名詞のユーカリスティアευχαριστιαは、2回(2章7節、4章2節)、形容詞のユーカリストスευχαριστοςは、1回(3章15節)。3章16節は新改訳では「感謝にあふれて」と訳されているが、原文には感謝を意味することばはない。いずれにしても、ここで気づかされることは、感謝している内容がいずれも「純粋に霊的なこと」であるということである。


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