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ヨシュア記から列王記に至るまでの歴史の結論

歴史書(1)の目次

結論 

ヨシュア記から列王記に至るまでの歴史の結論

1. 破局としての捕囚

(1)エルサレムは紀元前587年に陥落。
神殿は焼かれ、ゼデキヤ王は屈辱的な捕虜となった(25章1~7節)。

(2)捕囚という出来事は旧約における一種の結論である。
代々積み重ねられた罪のためである。

(3)神の民であるべきイスラエルとユダが神との契約を全く破棄してしまったことが、神に対する重大な背反であった。「契約」というものは、一方が破ればもはや破棄されるしかない。相手方はどこまでもその契約に対して真実にふるまうということは人間の世界ではあり得ない。しかしそのあり得ないことが起こった。

2. 破局を越えた神の真実

(1) 新しい契約の約束

  • 神は預言者エレミヤを通して、契約に不真実であった民に対して、なおも真実を尽くそうと、破棄されて無効になった契約に換わって、「新しい契約」を与えられると約束された(エレミヤ31章31~34節)。

    【新改訳改訂第3版】
    31:31
    見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
    31:32
    その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。──【主】の御告げ──
    31:33
    彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。──【主】の御告げ──わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
    31:34
    そのようにして、人々はもはや、『【主】を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。──【主】の御告げ──わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

(2) 大いなる希望

  • この約束ゆえに、亡国と捕囚の悲運にある人々に大いなる希望を与えた。このような神の恵み深い取り扱いを通して、神の民は、後に少なくとも外面的な偶像から全く縁を切るに至った。これは捕囚がもたらした副産物であると言える。

3. 歴史の教訓

(1) 失敗という事実

  • 旧約の歴史が全体として告げるところは、神の選びの民でさえ、失敗したという事実を通して、人間の罪深さが証明された。

(2) イエス・キリストによる救い

  • それゆえ、救い主が来られる以外に希望がないことを歴史書は示唆している。旧約聖書すべてに当てはまることであるが、旧約の歴史は律法の下にある人々の記録であるということである。神の裁きは神とイスラエルとの間に結ばれた律法に基づいた取り扱いであり、その律法に違反し、神に背いた結果であるということである。
  • しかし、新約時代における私たちはイエス・キリストを通して、律法の下ではなく、恵みの下にあるという事実を忘れてはならない。
    「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」(ローマ8:1)

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