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使徒教父時代におけるディアコニア<2>

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C-07. 使徒教父時代におけるディアコニア


はじめに

  • 今回は、初代教会がイエス・キリストの出来事から生まれたディアコ二ア共同体(仕える共同体)が、どのように教会を組織し、主イエスのディアコ二アの教え生かしていったのか。また使徒時代に続く「使徒教父時代」(約90年~140年)において、それがどのように展開していったかを概観したい。使徒教父とは使徒の教えを受け継いで正統的信仰を生き、伝えた人々で、文書も残しており、これを使徒教父文書と呼んでいる。
  • 以下の多くは、門脇聖子著『ディアコニア・その思想と実践』に拠っている。

(1) 使徒時代におけるディアコ二ア

① 相互扶助

  • まず、紀元30年代に誕生した初代教会の生活を要約している箇所は、使徒の働き2章4247節、4章32~35節である。「一同は、ひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた。・・信者たちはみな一緒にいて、一切のものを共有し、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなのものを分け与えた。」(使徒2章42~47)
  • 使徒たちの教え、パンさき、祈りのすべてにかかわる「ひたすら」という言葉は、ギリシャ語のブロスカルテローンテスという動詞で「強い」を表わすカルトスを語源とし、「固執する」「専念、熱中する」など強い執着心を表わすことばである。また「交わり」は「施し」とも解釈することができることばで、そこから「日々の配給」(6章1節)と取ったり、「食卓の交わり」すなわち「愛餐」と考え得る可能性もある。いずれにしても、イエスをキリストと信じる者の群れは、教え、交わり、パンさき、祈りにひたすら固執し、専念し、そこからイエスにあって一つであるという強い一体感が生まれ、2章45節、4章32~35節に記されているように、一切の持ち物を共有にし、必要に応じて分かち合う生活が営まれた。
  • このように初代教会の相互扶助の前提には、まずイエスを信じ、ひたすら使徒たちの教えを守り、パンをさき、祈り交わる信仰共同体があったこと、そしてこの信仰共同体に属する者たちの間で、積極的、自発的に所有を共有し合い、助け合う生活が生まれてきていることに注目したい。

② パンさき

  • 初代教会が固執したことの一つに「共にパンをさく」ことがあった。使徒2章42節、46節。ユダヤ教では単にパンの塊を裂く行為であり、感謝の祈りと結びついて食事を始める儀式を意味したが、初代教会においては、それに続く交わりの食事、すなわち、信仰を共にし、所有を共にした信徒たちの愛餐を意味していた。これはコイノニア共同体としての大切な面であった。
  • しかし後に、使徒パウロはコリント人の手紙の中で、異邦人クリスチャンたちのある人々が、教会に共に集まっている貧しい人々への配慮が怠りがちになって来ている事を指摘し、貧しい人々への愛の配慮を怠らないようにと勧めている。

③ ディアコノス(執事)の誕生

  • 使徒時代の教会は、先に触れたように自発的な愛の相互援助の共同体となり、成長していった。しかし会員の増加と共に、この共同体の特徴である相互援助をめぐって問題が生じた。そのことが使徒6章1~6節に記されている。つまり、ヘブル語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人、すなわちヘレニストの寡婦(やもめ)たちへの日々の配給に不公平が生じたのである。そこで使徒たちは、相互扶助が公平かつ円滑にいくように手助けする七人を選んだ。この七人が最初のディアコノス(執事)と呼ばれるようになった。
  • 彼らを選出した目的は、第一義的に施し物の配分者という実践的な奉仕であったが、彼らは同時に「言葉のディアコノス」でもあった。七人の一人ステバノは迫害の中で宣教し、ピリポはエチオピアの宦官に宣教し、洗礼を施している。
  • 最初は教会の指導の責任を使徒が負っていたが、次第に教会が拡張すると、具体的必要から「監督」「長老」「執事」が置かれるようになった。また、ローマ書16章1節には女性執事「フィベ」がいたことを記している。彼女は、ケンクレヤの教会で、貧しい人々、病人たちの世話をし、異邦人やおそらく婦人たちの洗礼の手伝いをもしていたであろう。フィベは執事(ディアコノス)と呼ばれているが、女性の執事が教会の必要に応じて自然に生まれていることは注意すべきである。男女の差別の激しかった当時の社会において、愛の奉仕においては、性の差別なく世話役が生まれていたのである。
  • このように、初代教会においては共同体での必要に対応するために、執事(ディアコノス)が生まれたが、監督や長老も含めての教職制度として統一整備していく関心は、この時期にはなかったようである。あくまでも、信仰共同体として、それが証と愛の相互扶助の共同体であり続けるために、現実のニーズ(例えば、旅人をもてなし、獄にある者を見舞うこと)にどう仕えていくかに関心があったようである。

(2) 使徒教父時代におけるディアコ二ア

  • 第一世紀より二世紀前半(90年~140年)は、使徒教父時代と呼ばれている。(注1) 教会は成長したとはいえ、当時の社会の中ではまだ小さく統一組織を持たず、不安定な時期にあった。それは使徒たちが世を去って、使徒にかわる後継者がなく、教職制もまだ確立していなかったからである。このような時代に指導的役割を果たしたのが、使徒教父と呼ばれる人々であった。「教父」とは、使徒の教えを受け継いで正統的信仰を保持し、教会の発展に献身的な努力をし、後の教会が、なお教えの基準をそこに求めることのできる人々を指している。この時代の教会生活は、彼らが残したわずかな文書を通して推測できるのみである。(注2)

①隣人愛の教えの変質―功績思想の芽生えー

  • 教会はヘレニズムの世界へと拡散していった。この異教徒の取り巻く社会の中で、キリスト者の群れは、互いに愛し合う群れという印象を与えた。しかし残念なことに、それが少しずつ変質していったのである。
  • 教会が異端の迫害に耐えて愛し合う群れとして生き続ける努力の中で、愛の行為によって罪が赦されるという罪障消滅思想が、使徒後教父たちの教えに芽生え始めている。当時の教会生活を知るうえでの良い資料となっている「ディダケー」には、すでに、隣人を愛することは、罪のあがないになるという暗示がある。クレーメンスの第一、第二の手紙にも純粋な愛の戒めがあると同時に、・・「愛のゆえに私たちの罪が赦される」「施しは罪の悔い改めと同様に立派な行いである。断食は祈りよりも優れている。しかし施しはその両者に勝るものである。・・施しは罪を軽くしてくれるからである。」と記されている。ここに明らかなことは、愛の業が、罪のゆるしに役立つという功績思想が入り込んでいることである。相手のための施しであるべきものが、自分の罪帳消しためという動機にすりかえられるとき、相手のニーズへの無配慮な施しとなっていったことを裏づけている。

② ディアコノス(執事)の職制化へ

  • この時代は監督を頂点とする職階制度が形成されていった時代で、信徒の隣人愛の活動も、執事という職制の中に統一されていく方向を取っている。それは組織化されていくという利点はあったかもしれないが、信徒の自由な愛の業が枯渇していく方向を取ったことは否めない。確かに、現実のニーズから、監督、長老、預言者、教師たちが生まれた。しかし、やがて監督職の権威が徐々に重んじられ、イグナティオスの時代(170年代)には、監督を頂点として、その下に長老団が属し、一般信徒の指導に当たり、さらに、数名の執事かこれを助けて教会の統一を司るという組織が成立していった。もっとも、イグナティオスは、異端による危機を見て、会衆と司教の固い結束を勧めたのであり、職階制度の意味に理解されることを意図していなかった。にもかかわらず、彼の監督、長老、執事職への過度の尊重の姿勢が独裁監督制への道に拍車をかけたといわれている。
  • 本来、教会内の相互補助を円滑にするために選ばれ、隣人愛の業の担い手であった執事も、このような職階制成立の歯車に組み込まれ、監督の支配下の下に置かれ、その自由さを失っていった。監督と執事との関係は、父と子のごとくであり、執事は監督の耳、口、心と一体でなければならなかった。行動する時は、必ず、監督の許可を得なければならないし、報告を怠ってはならなかったために、やがて独裁監督制への途上にある監督と密接な関係を保ちつつ生きねばならなかった執事たちは、しもべの道から離れて、支配者への道をたどっていった。状況に呼応した隣人愛の働きは、この時代では例外的になりつつあったのである。

(3) 今日における執事(ディアコノス)の働きの復権

  • 歴史的には執事の職務は教会の活動において最も基本的な部分を受け持つ職位であった。今日の教会において、この執事の職は、もっと強調されても良いのではないか。執事の主要な職務は教会活動全般にわたって、牧師を助け、「仕える」働きの中核に位置するものである。古来、執事の働きによって教会の活動は円滑に行なわれてきました。とすれば、現代の、キリスト教会においても、この執事の職務について再検討されるべきではないだろうか。
  • 執事の職務は教会堂や財政の管理のみならずのみならず、貧しい教会員の方の世話、家庭訪問、教会員の相談を受けたり、その他牧師の補助、一切の奉仕をまかされている。

① 執事は牧師の協同者

  • 執事は、教会がその使命と職務を十分果たしていけるように、教会の働きのすべての面において、牧師と共に働く務めを託されている。助け手とは、男女関係においてと同様(創世記2・18参照、上下関係でなく、パートナーという意味である。執事は、牧師の働きを助ける務めを通して、キリストのからだなる教会に仕える人なのである。牧師個人のためということではなく、教会の使命遂行のために牧師を助けるのである。そういう意味で、執事が牧師の良き相談相手になれば素晴らしいことだといえる。それは牧師個人の相談相手である以上に、牧師が教会の働きをなす上での協力者という意味である。パートナーシップをもって、牧師は執事のために祈り、執事は牧師のために祈るのでなければならない。

② 執事は牧会協力者

  • 執事は牧会の協力者でもあります。牧会とは、人がキリストのからだなる教会につながり、教会を建て上げ、クリスチャンとして証の生活を続けていくよう、配慮し、励まし、支え、指導、訓練、訓戒、保護することです。そういう意味で牧会は教会全体の働きです。
  • 一人の牧師の働きには限界がある。当たり前であるが、牧師もただの弱い人間、罪人にすぎない。長所や短所もある。時に、牧師自身も他の誰かからの牧会を必要とする。したがって、教会の牧会がよりよくされるために、牧師を補い、支える牧会協力者が必要なのである。特に執事にはその役割が期待されている。

③ 執事は教会員の模範

  • 教会の働きのすべての面において、牧師と共に働く務めを託されている執事の働きは、牧師と同様、教会の使命と職務を十分に認識し、その使命に共に生きようという決意がなければならない。執事は教会員の模範となるように、主日礼拝だけではなく、祈祷会をはじめ他の集会も大切に守らなければならない。そのようにして初めて教会の現状を知り得る。説教を最も熱心に聞き、時間やお金の使い方についても模範とならなければならない。
  • 主に対して誠実な執事は、牧師と教会員との双方から信頼され、牧師の相談相手だけでなく教会員の良き相談相手にもならなければならない。様々な相談が持ち込まれ、教会や牧師・役員に対する不満を聞く機会もあるかもしれない。信頼される執事は、そんな時でも単なる「不平不満まとめ係」「信徒利益代表」になってはならない。執事はつねにキリストのからだなる教会の徳を高める立場・教会形成的視点から考え、発言し、動かなければならない。その時、その執事は信頼のおける牧会協力者としての務めを果たすことになるはずである。

④ 聖書の教える執事の資質

  • 「執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。
    婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地位を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。」(Ⅰテモテ3章8~13節)

〔3章8~9節〕
a.謹厳、尊敬にあたいする人
b. 生活上の自制力が問われている。
〔会話〕・・2枚舌を使わず(人によって言葉の使い分けをしない) 舌は人を自分に引き  付ける手段や蹴落とすために使われやすく、あざむきの道具となりやすいことに気づいている人。
〔酒〕・・・酒に飲まれてしまわない人→罪につながる危険がある。酒に酔わないで、御霊に酔う。
〔金銭〕・・不正な利を貧らない人、無欲な人。献金や教会財政を扱う機会が多いので。
c. きよい良心をもっている人…1章5、8節にも繰り返し出てくる。

〔11節〕
当時女性執事もいた。あるいは執事の妻も執事の妻も監督や執事と同様に、要求されている事柄として、
a. 威厳があり=謹厳と同じ意味
b. 悪口を言わず=教会破壊に繋がるから
c. 自分を制し
d. 忠実に仕えていくことを大切に感じている人

〔12節〕
道徳的に一人の妻の夫で、子供と家庭をよく治める人。神様から与えられている家庭によく仕え、また教会にも仕えることのできる人。

〔13節〕
霊的な表現であるが、責任ある立場に立つことによって得る事柄。良い地歩を占め、キリスト・イエスを信じる信仰によって成長し、強い確信を得ることができる。途中で「大変だ、やめよう」ではなく、自分の足りない弱さを認めながら、神様に助けていただきながら、やっていくことがなによりも信仰成長の出来事となるということである。

  • 執事とは、<ナンバー・ツー>に徹する能力を与えられた人です。女房役とも言われます。この能力を持った人材が今日求められているのです。

(注1)

  • 新約聖書時代あるいはその直後に書かれたキリスト教文書の著者の中で使徒たちの直接の弟子と信じられていた者たちの呼称。一般に使徒教父とは、ローマのクレーメンス(著作年代は1世紀末)、アンテオケのイグナティオス(2世紀初め)、スミルナのポリュカルポス(2世紀初め)、「ポリュカルポスの殉教伝」(2世紀中頃?)の著者,ローマのヘルマス(2世紀前半)、アレキサンドリアでバルナバの名で書かれたと推測される手紙の著者(2世紀前半)、「ディダケー」(12使徒の教訓)の著者(2世紀中頃)、「クレーメンスの第2の手紙」の著者(2世紀中頃)、「ディオグネートスへの手紙」の著者(2世紀末―3世紀初め)、「パピアスの断片」の著者(2世紀)を言う。
    (注2)
  • 「キリスト教が発祥の地ユダヤから、当時の世界を支配していたヘレニズム文化圏へと発展していったころ、正統信仰の擁護や基本的な教義の確立に貢献した多くの思想家たちは、その後の教会の歴史の中で「教父」として敬われている。日本のキリスト教界では、聖書に関する研究は相当に進んでいても、教父たちの思想に関する研究はまだあまり盛んではない。しかし、教会の成立と発展の過程において彼らが果たした役割を考えると、私たちが教会の真の伝統を知り、さらに日本における教会の未来の発展を望む上で、教父たちの歴史と思想を学ぶことにもっと意識的に取りくんでもよいのではなかろうか。」(『キリスト新聞社』社説、1995.4.29)


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