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御国の鍵としてのイエスの名による祈り

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B-07. 御国の鍵としてのイエスの名による祈り

はじめに

  • 「主の御名」「イエスの御名」「キリストの御名」「主イエス・キリストの御名」によって祈る祈りーこれこそが、クリスチャンの祈りの特徴である。この点について、私たちはどれほど明確な信仰的自覚をもって使っているだろうか。これは、「これで私の祈りは終わりです。次の方どうぞ・・」というサインではない。イエス(キリスト)の御名とは、イエス・キリストの全存在―すぐれた権威と力―、全人格―教え、十字架と復活を頂点とするすべてのわざー、さらに天にあるキリストの栄光の富を包含している。初代教会は「イエスの御名によって」大胆にみことばを語り、しるしと不思議なわざを行ない、すべてのことをイエスの御名によってなしたのである。

「イエスの御名によって」祈る新しい祈り

  • 言うまでもないが、「イエスの御名」によって祈る祈りはだれかが思いついたものではなく、イエスご自身が最後の晩餐の席で教えられた祈りである。()
  • ①「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。」 (ヨハネ16章24節)
  • ②「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。」(ヨハネ16章26節)
  • 上記のほかにも四つの箇所で同じことが繰り返されている。繰り返されているということは、非常に重要だということである。そこで強調されていることは、①「何でも求めよ」②「イエスの御名によって」、③そうすれば「父は、お与えになる」という約束である。
  • ヨハネ16章24節の「今まで」とは、イエスがここで弟子たちに話されるまでは、彼らがイエスの御名によって何も求めなかったという意味であり、同、26節の「その日には」とは、ペンテコステの時に弟子たちの上に聖霊が注がれる日には、という意味である。
  • イエスの御名によって祈るとき、その祈りはイエスによって保証され、あたかもイエスご自身が祈ることと同義なのである。今も、イエスは「父なる神の右の座において、とりなしの働きをされているが、私たちがイエスの名によって祈ることと、イエスの御座でのとりなしとの関係はどうなっているのであろうか。ヘブル人への手紙7章24~25節にこう記されている。「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」
  • この箇所は、キリストがご自分によって神に近づく人々のとりなし手であることを明らかにしている。この中にある「とりなす」という言葉のギリシア語(ἐντυγχάνω)の意味は、「間に立つ」「交渉する」「人々の間に立って平和と平等を作り出す」という意味である。キリストは神と罪人の和解のためにこの世に来られ、人々の間に神の平和をもたらすために活動された。そして現在、天においてだけでなく、かつて地上においても、「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられる」という。このことは教会にとってきわめて重要である。
  • 現在、キリストは天において私たち教会のためにとりなしておられるが、この意味をさらに明確にするなら、「キリストは天において教会のために神と交渉をしておられる」という意味になる。この交渉するというのは「取引をする」という意味である。キリストが教会のために神と取引がなされるためには<取引材料>が必要となるが、それが聖徒たちの祈りなのである。もし教会が地上で祈らないならば、キリストは天において神と交渉することができないのである。しかしもし教会が地上で祈るならば、キリストはその祈りが答えられるよう天において神と交渉してくださるのである。キリストが天においてとりなしをしておられるとはそういう意味である。
  • ヨハネ16章26節の「わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。」という意味は、私たちがとりなす材料をイエスに与えることをしないのに、イエスが私たちと関わりなく、代わってとりなすということはできないという意味である。だからこそ、聖徒たちのとりなしの祈りはとても重要なのである。ちなみに、サムエルは「祈らないことは罪」だとしている。(Ⅰサムエル12章23節)。イエスの御霊は、私たちをうながして、祈りの材料をイエスに与えることを可能にしてくださる方である。とりなしの祈りの息は、三位一体なる神と私たちのうちにいのちの連帯を作り出している。  
  • キリストは、いつもキリストを通して神に近づく人々のためにとりなしておられるのである。「イエスの御名」によって祈る祈りを御父は聞いてくださるという主の約束を、私たちは信仰をもって真剣に受け止めなければならない。

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    ①ヨハネ14: 13 「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。」 

    ②ヨハネ14: 14 「あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。 」

    ③ヨハネ15: 16 「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」 

    ④ヨハネ16: 23 「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。」


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