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詩50篇「戒める」 עוּד ウード

〔カテゴリー育成〕

7節「聞け、わが民よ。わたしは語ろう。イスラエルよ。わたしはあなたを戒めよう。」

Keyword; 「戒める」 testify, warn, stand firm, sustain, 20:8/50:7/81:8/119:61/146:9/147:6

  • 「戒めよう」(新改訳、関根訳)と訳されたウード(עוּד)は、旧約で44回、詩篇では6回使われている動詞です。他にもさまざまに訳されています。「告発する」(新共同訳)、「あかしをなす」(口語訳)、「とがめる」(フランシスコ会訳)、「警告する」(岩波訳)、「話しておきたいことがある」(LB訳)と言った具合です。
  • 神がご自身の民に対して、戒めたり、とがめたり、警告したりするのは、父権的な愛のゆえです。その証拠に、原語ウード(עוּד)には、「堅く立たせる」(stand firm)とか、「支える」(sustain)と言った意味合いがあることを心に留めたいと思います。
  • 私たちには両親がいて、父と母がいてそれぞれ補いながら、自分たちの子どもを育てていきます。父には父なりの、母には母なりの役割があります。母性的役割は子ども包み込むことです。生後、お乳を飲ませ、常に手をかけるという基盤があって、はじめて人は独立した存在になれるようにプログラムされています。母親としての役割は、人が生きていく上で最も重要な基本的信頼という部分を担っています。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(イザヤ40:11)はその典型です。そしてその基盤の上に父親的な役割が必要となってきます。
  • 父権の役割とは、責任を持って、家族を統合させ、理念をかかげ、社会のルールを教えて、かじ取りをしていくことにあります。それゆえ、子どもに対してもある厳しさをもって養育します。子どもにいろいろなことを挑戦させ、冒険させ、困難なことにも立ち向かわせる訓練を与えて自立心を養います。こうした訓練がないと、子どもは自立していくことができません。詩50篇はそうした神の父権的性格がよく表わされた詩篇です。
  • 私たちの神は『父なる神』と言われます。しかしその内実は父性と母性の双方を併せ持っている神だということです。母性を深く秘めながらも、父性の権威を持った方なのです。新約のヘブル人の手紙12章にはその父性的な面が強調されています。「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして懲らしめるのです。」(10節)とあります。愛すべき子たちに対してなされる父のすべての訓練は、決して喜ばしいものではなく、むしろ、かえって悲しく思え、傷つけられたと感じるものです。しかし、あとになれば、それが自分の益となり、神の聖にあずかっている自分を見出すのです。そんな慈愛に満ちた父が私たちの神であってくださることに心から感謝できるものは幸いです。

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