神はとりなし手を求めておられる <2>
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B-02. 神はとりなし手を求めておられる <2>
(2) 神は私たちに天地を揺るがすほどの霊的権威を授けようとしておられる
- 驚くべきことであるが、神は私たちのような弱い、壊れやすい、傷ついた器を選んでくださり、天地を揺るがすほどの霊的権威を授けようとされているのである。
- ダニエルのことばによって天使も動いた。天使が来たのは、「あなたのことばのためである」と、ダニエルは聞かされた。これこそ私たちが神を求める者たちに与えられる霊的権威である。ダニエルは私たちとは違う特別な人であったのか。そうではない。しかし、神を求めることにおいて、神に従うことにおいて、心を尽くした人であった。
- 聖霊は今の時代に、モーセやエリヤのような霊的権威を教会に授け、世界的に力の対決の場を設けようとされている。教会は聖なる神の力こそ本物であり、偉大であることを示さなければならない。そのときに、多くの迷える羊たちの心が、真の神に立ち帰ることになる。
- イエスのミニストリーのユニークな点の一つは決して集会の案内や宣伝をされなかったことである。それにもかかわらず、大勢の人たちが集まったのである。もし本当に神の権威と力が顕わされているならば、人々は引き寄せられるように集まって来るはずである。
(3) とりなし手の聖なる務めへの召し
- 62:1
シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。その義が朝日のように光を放ち、その救いが、たいまつのように燃えるまでは。
62:2
そのとき、国々はあなたの義を見、すべての王があなたの栄光を見る。あなたは、主の口が名づける新しい名で呼ばれよう。
62:3
あなたは主の手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。
62:6
エルサレムよ。わたしはあなたの城壁の上に見張り人を置いた。昼の間も、夜の間も、彼らは決して黙っていてはならない。主に覚えられている者たちよ。黙りこんではならない。
62:7
主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。
62:8
主は右の手と、力強い腕によって誓われた。「わたしは再びあなたの穀物を、あなたの敵に食物として与えない。あなたの労して作った新しいぶどう酒を、外国人に決して飲ませない。」(イザヤ62章1~8節)
- イザヤ書62章で語られていることは、主ご自身のご計画を実現するためには、忠実なとりなし手を神が求めておられるということである。主のご計画と主のみこころがこの地に実現されるためには、とりなしの祈りという聖なる務めなしには考えられない。神はご自身の偉大な計画を前進させるために、なんと私たちの協力を待っておられるのである。もし私たちが、主の語られるままに従うなら、私たちはやがて考えや思いにも及ばないすばらしい主の栄光を見ることになる、というのが聖書の約束である。8節では「主は右の手と、力強い腕によって誓われた」とある。「右の手」とは権威の象徴である。したがって、ここでは主の御名の権威と御力によって約束しているのである。主の誓いは決して変えられることはない。私たちが条件を満たすなら、必ず、その誓いは実現していく。その誓いとは、エルサレムの回復、教会の本来の回復の実現である。
- 誓いを実現するための条件とは、とりなし手(「見張り人」)の存在であり、とりなしの祈りという聖なる務めである。それゆえ聖書はこう語っている。「黙り込んではならない。主がエルサレムを堅く立て、この地でエルサレムを栄誉とされるまで、黙っていてはならない。」と。
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