****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

終わりの日についての幻 (4)封印された幻

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14. 終わりの日についての幻 (4) 封印された幻

【聖書箇所】 12章1節~13節

ベレーシート

  • 12章はダニエル書全体の要約でもあり、また最後で主に忠実な者に対する復活への希望の光を与えてくれる章でもあります。
  • 11章36節~12章3節までは、最後の終わりの時の幻です。アンティオコス4世エピファネスの再来である「反キリスト」が現われると解釈される預言です。ダニエルに示された「七十週預言」の最後の「一週」(7年間)に定められていることが起こることの内容が示されています。

【新改訳2017】ダニエル書 12章1節
その時、あなたの国の人々を守る大いなる君ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかしその時、あなたの民で、あの書に記されている者はみな救われる。

●ミカエルは「御使いのかしら」(ユダ9)です。ミカエルはイスラエルの民と密接なつながりを持っている御使いで、イスラエルの民を守り、イスラエルのために戦う御使いなのです(ダニエル10:21)。

  • この幻がダニエルに示された後にこう語られました。「ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと探り回ろう。」と(12:4)。神のご計画における「終わりの時」については、長い歴史の中で漸次に、さまざまな時期に、さまざまな方法で、多くの預言者を通して語られています。パズルゲームのように、神が示された幻や夢、あるいは語られた預言の一つひとつのピースを組み合わせなくては全体像がみえない仕掛けになっています。つまり、語られた預言が「終わりの時まで、秘められ、封じられているから」(12:9)です。そのため、神のことばを聞いた預言者も、その意味することを悟ることができないのです。ダニエルはしばしばそのような経験をした人でした(7:15, 28/8:15, 27/12:8)。
  • しかし新約時代に入ると、「この書を封じておけ」(ダニ12:4)と言われた神の啓示が、新しく開かれるようなさらなる多くのピースが与えられることになります。使徒パウロや使徒ぺテロの手紙、そして特に「ヨハネの黙示録」に至っては、終わりの時についての多くのピース(情報)が啓示されています。その黙示録の最後の章では御使いが「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである」(22:10)と語られています。
  • 旧約時代では分からなかった情報と知識が啓示され、終わりの時の事柄が時代が進むにつれてより鮮明になっていきます。そのため、ダニエル書12章4節に記されているように「多くの者は知識を増そうと探り回る」時代になるようです。ダニエルより220年前に預言したアモス(B.C.760)も同様の幻を見ています。「見よ。その日が来る。・・その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。・・彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを探し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。」(アモス8:11~12)とあるように、この預言はいわば今日成就しているといえます。
  • パズルのピースが多ければ多いほど、それを組み合わせるのに苦労するように、「終わりの時」に関する多くの情報と知識が事柄を混乱させる結果を引き起こしていることも事実です。特に、キリストの再臨をめぐって、これまでも多くの人々が惑わされて教会が分裂したという事実もあり、再臨の教えについて過敏になり過ぎてあえてその事柄を避けている人々(教会)もいる(ある)ほどです。終わりの時の「キリストの再臨」はサタンが最も嫌う出来事です。そのため、サタンによる霊的混乱が教会にもたらされることは避けられません。しかし、そうした中にあっても、「思慮深い人々は悟る」(ダニエル12:10)ようになるのです。

1. ダニエルの見た最後の幻

【新改訳改訂第3版】ダニエル書12章5~7節
5 私、ダニエルが見ていると、見よ、ふたりの人が立っていて、ひとりは川のこちら岸に、ほかのひとりは川の向こう岸にいた。
6 それで私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人に言った。「この不思議なことは、いつになって終わるのですか。
7 すると私は、川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人が語るのを聞いた。彼は、その右手と左手を天に向けて上げ、永遠に生きる方をさして誓って言った。「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する。

  • 上記の幻には、二人の御使いが証人として現われます。この二人の証人は7節の誓いがなされるに際して必要な証人でした。なぜなら、トーラーによれば、証人は二人ないし三人の立ち合いが必要だったからです(申命記19:15)。ここでは川の水の上にいる、あの亜麻布の衣を着た一人の亜麻布を着た人が語った誓い、片手だけでなく、両手を天に向けて上げること自体も、誓った内容の確実性を表わす行為ですが、二人の証人、そして第三の証人であるダニエルの存在がその誓いがいかに確実なものであるかをことさらに強調しています。
  • ダニエルは11章31~36節、そして12章1節に記されている「かつてなかったほどの苦難の時が来る」こと。「しかし、その時、あなたの民で、あの書に記されている者はすべて救われる」というこの不思議なこと(口語訳では「異常な出来事」)について、ダニエルは尋ねています。すると、亜麻布を着た人は「それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民の勢力を打ち砕くことが終わったとき、これらすべてのことが成就する」と答えました。「ひと時とふた時と半時」とは、三年半に相当します。この時がユダヤ人にとって大患難の時、最大の試練の時を迎えます。その試練とは、反キリストによって「聖なる民の勢力を打ち砕く」ためのものです。
  • 「聖なる民」とは神に選ばれた選民ユダヤ人です。彼らは反キリストの迫害を避けてボツラという場所(現在のヨルダンにあるぺトラ)に隠れます。そこで、彼らは自分たちがかつてメシアを拒絶したことを悲しみをもって悔い改め、イエスをメシアとして受け入れるのです。神は、このように反キリストを用いて彼らを悔い改めに導かれます。迫害の苦難と深い悲しみによる悔い改めのこととを指して「聖なる民の勢力を打ち砕くこと」と表現されています。そのことが起こったとき、キリストは再臨され、反キリスト(黙示録では「獣」と呼ばれます)と彼を支えたにせ預言者(単数)は共に「硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれ(黙示19:20)、悪魔でありサタンである「竜」は捕らえられて、底知れぬところに投げ込まれて千年の間、そこに幽閉されます(黙示録20:2~3)。それから千年王国が到来します。
  • 預言の解釈は、使徒ペテロが記しているように、「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」(Ⅱペテロ1:20)という原則を厳守する必要があります。なぜなら、預言の解き明かしは、聖書のどこかで解き明かされているからです。ダニエルが最後に聞かされた内容は封印されましたが、その解き明かしは使徒ヨハネが「黙示録」において、キリストから啓示されて書き記しています。
  • ダニエル書12章9~12節を見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】ダニエル書12章9~12節

9 彼(=川の上にいる、あの亜麻布の衣を着た人)は言った。「ダニエルよ。行け。このことばは、終わりの時まで、秘められ、封じられているからだ。
10 多くの者は、身を清め、白くし、こうして練られる。悪者どもは悪を行い、ひとりも悟る者がいない。しかし、思慮深い人々は悟る。
11 常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
12 幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。

画像の説明
〔説明〕
大患難期についてのその年月の長さが預言されています。一年を360日とするユダヤ暦の計算によれば、その始まりは、不法の人が荒らす忌むべきものを聖所に据える時から数えて、「1290日」すなわち、三年半と一ヶ月という期間になります。ただし黙示録では「1260日」(三年半)とされています。さらに、最終的な勝利を得るまでの忍耐の期間として「1335日」すなわち、三年半と二ヶ月半(三年八か月)が預言されています。これらの日数の差は、サタンが地上を荒らした足跡が一掃され、地上がきよめられるために必要な期間と考えられます。つまり、後始末期間というわけです。

2. ダニエルに対する約束

  • ダニエル書の瞑想の最後の部分(12:31)は、預言者ダニエル個人に対する神の約束です。

    12:13
    【新改訳改訂3版】
    あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。
    【口語訳】
    しかし、終りまであなたの道を行きなさい。あなたは休みに入り、定められた日の終りに立って、あなたの分を受けるでしょう。
    【新共同訳】
    終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。

  • ダニエルは終わりの時を知らされましたが、その詳細については知らされませんでした。しかし、歴史を支配される神を信じて、死に至るまで忠実に歩むことが命じられました。ダニエルはやがて死の眠りに就くでしょうが、終わりの時には復活に与り、自分に与えられている相続財産をいただく約束が与えられています。
  • 主にある者はみなこの世にある間は気をゆるすことなく、最後まで信仰の戦いをし、忠実に主に従わなければなりません。なぜなら、主に仕える生涯を全うしたものにとっては、世の終りに「義人の復活」にあずかることができるからです。それはすばらしい唯一の希望(「ハッティクヴァー」הַתִּקְוָה)です。


2013.8.31


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