詩篇のパラレリズム
詩篇ア・ラ・カルトの目次
序(2) 詩篇におけるパラレリズム(並行法)
- 鍋谷尭爾著『詩篇を味わう』(2005, いのちのことば社)の第一巻に、「詩篇のパラレリズムについて」と題された記述があります。そこを抜粋してみます。
- 「それは単なる修辞的技巧の問題にとどまらず、旧約思想の本質を提示するために不可欠の文体であることが明らかになってきました。このことをはじめて発見したのは今から二百年も前のロバート・ロウス監督でした。それまで千五百年以上も、ユダヤ人の間ですら、このパラレリズムの重要性に気づいていた者はいませんでした。1753年、ロウス監督は『ヘブル語の聖書の詩についての講義』を出版し、そこで音声と文体が比較的穏やかに結びついて感性を表現していると主張したのです。このパラレリズムと呼ばれる行ごとの思想内容の対応により、思想は繰り返されることもあるし前進することもあります。また比喩的でもあるし、逆転的でもあります。」(13~14頁)と述べながら、三つの型(同義型、反意型、合成型)を説明しています。
(1) 同義型並行法
これは、2行目が1行目の思想を違った言葉で言い換える表現方法です。たとえば、
- まことに、その人は主の教えを喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。(1:2)
- それゆえ、悪者はもさばきの中に立ちおおせず、
罪人は、正しい者のつどいに立てない。(1:5)
- 天の御座は着いている方は笑い、
主はその者どもをあざけられる。(2:4)
(2) 反意型並行法
これは、1行目と2行目の思想が対照をなしています。相互が矛盾するのではなく、真理の両面を相補する表現方法です。たとえば、
- まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。
しかし、悪者の道は滅びうせる。(1:4)
- 若い獅子も乏しくなって飢える。
しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。(34:10)
(3) 総合型(合成型)並行法
これは、1行目の思想を2行目が補足しつつ次第に真理を明らかにしていく表現方法です。たとえば、
- 悪者のはかりごとに歩まず、
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった・・(1:1)
- その人は、水路のそばに植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。(1:3)
- このように、パラレリズム(並行法)は、読む者の心に真理を刻み込むために有効な表現法なのです。
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