エリシャのライフワーク「預言者のともがら」の育成
列王記の目次
26. エリシャのライフワークとしての「預言者のともがら」の育成
【聖書箇所】 4章1節~44節
はじめに
- 私の旧約の恩師、千代崎秀雄師は次のように述べています。
人生における幸福の大いなるものは、ライフワークを見出し、それに取り組んで全力を尽くすこと、と言えよう。さらに幸福なことは、そのライフワークを成し遂げることである。なおまさる幸福は、よい後継者を得て、そのライフワークが次代に継承され、いっそう展開し前進する保証を見るということである。
「主の前に立つ」一粒社発行、1990年、147~148頁
- その意味では、預言者エリヤはまことに幸いな人であったと思います。エリシャという後継者を得て、真の預言者としての系譜は北イスラエル王国に樹立されていったからです。エリヤはどちらかと言えば、孤高の人であったのに対し、エリシャは「預言者のもとがら、仲間、学校」と連帯し、彼らを指導し育成した人でした。
- 3章は、モアブが北イスラエルに対して反旗を翻したことを契機に、北イスラエル王国とユダ王国、そしてエドムを巻き込んでの戦争となりました。3章の重要なことは、この戦いにおいてエリヤの後継者がエリシャであることを国家レヴェルにおいて認識されたということです。しかも主のみこころを求めることのできる預言者を紹介したのは、イスラエルの王ヨラムの家来でした。エリシャはユダの王ヨシャパテのために預言し、勝利に導きました。「この谷に水を掘れ。みぞを掘れ」ということばは有名です。
1. 4章の様々な出来事を貫くキーワード
- 4章の様々な出来事はみなエリシャの奇蹟がなされていますが、その奇蹟の対象がすべて「預言者」、および「預言者のともがら」にかかわっています。ヘブル語の「ヴェネー・ハンネヴィーイーム」(בְנֵי הַנְּבִיאִים)を新改訳、口語訳は「預言者のともがら」と訳していますが、新共同訳は「預言者の仲間」、岩波訳は「預言者の仲間たち」、バルバロ訳は「預言者の弟子たち」、リビングバイブル訳は「預言者学校」と訳しています。いずれもバアルにひざをかがめない、しかも王の雇われ預言者ではなく、エリヤの流れをくむ真の預言者たちでした。
- エリヤはケリテ川のほとりで、幾羽かの烏が朝夕、パンと肉を運んできました。また、シドンのツァレファテではやもめの家で養われました。真の預言者たちの生活の保障は、彼らを育成する上で重要な問題であったはずです。その問題にすへてにエリシャがかかわっています。なぜなら、預言者の育成こそエリシャのライフワークだったからです。
- 第一の出来事の「やもめの訴え」は、自分の夫(しかも、主を恐れる敬虔な預言者ひとり)が死に、そのために家族が貧しくなって借金のかたに息子たちが奴隷となる事態を招きました。やもめの訴えに対してエリシャは彼女の油壺を満たして負債を払わせただけでなく、その残りで暮らしていけるように、その家族の生活を保障しました。
- 第二の出来事は、シュネムに住む裕福な女性がエリシャを神の人ととして自分の家に招き、そしてもてなしました。また部屋までも整えて提供しました。預言者を預言者として迎える彼女には子どもがいませんでした。彼女の夫も年をとっていました。そんな彼女にエリシャは報い、子どもが与えられるようにしたのです。その子が産まれて大きくなったとき、突然、死にます。彼女はカルメル山にいるエリシャのもとに行き憤りをぶつけます。家に戻った彼女のところにエリシャは出向いて行き、その息子を生き返らせました。
- イエスも「預言者を預言者として受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます」と言われましたが、その祝福を彼女のために取り戻したのです。死んだ者(特にねひとり息子)を生き返らせるのは、イエスさまも同じことをしています。
- ちなみに、シュネムに関して、老年のダビデを介護した若い美しい娘アビシャグはこのシュネム人でした。彼女はダビデの子を産むことはなく、やもめとなりましたが、もうひとりのシュネム人の女性は子どもが与えられています。
- 第三の出来事は、飢饉の折り、預言者の仲間の一人が知らずに毒のあるつる性のうりを取ってきて鍋に入れました。ところが食べる段になって、それが毒であることがわかりました。エリシャはその毒を中和させて皆が食べられるようにしました。
- 第四の出来事は、ある人がエリシヤのもとに20個のパンと一袋の新穀を持ってきました。それをエリシャは預言者の仲間に分け与えるように召使に命じました。すると「これだれでどうして百人もの人に分けられるでしょう。」と言います。しかし、この量でも食べ残すだろうと言い、実際にそうなりました。イエスの五千人の給食の奇蹟を想起させる出来事です。
- 第一から第四の出来事はすべて「預言者の仲間」、そして「預言者とかかわる者」たちの祝福にかかわっています。主は生きておられるということが、神の預言者たちの生活を保障する形で、しかも奇蹟的に保障されたのです。
2. エリシャの活動の舞台
- 38節に「エリシャがギルガルへ帰って来たとき」という記述があります。そこは「預言者のともがら」「預言者の学校」があったところです。エリヤの最期を悟ってエリシャがエリヤについて行った最初の場所です。この箇所だけを見るなら、エリシャの活動の本拠地は「ギルガル」であったように見えます。しかし、4:25では「カルメル山」にもエリシャはおり、5:3では「サマリヤ」にいることが記されています。エリシャの活動は北イスラエルに限られていますが、彼の居場所は転々としています。北イスラエルの各地に出向いているのです。イエスの活動の舞台はガリラヤでした。そこでイエスは弟子を選び、その弟子たちを伴いながら、ガリラヤ地方を点々としながら御国の福音を宣べ伝え、また「祭りの時」はエルサレムへも赴いています。また、数多くの奇蹟をしていることからしても、エリシャはイエスの型であることが分かります。
2012.10.27
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