ソロモンに与えられた知恵と富
列王記の目次
11. ソロモンに与えられた知恵と富
【聖書箇所】 10章1~29節
はじめに
- 10章には、ソロモンに与えられた知恵と繁栄(富)がいかに絶大なものであったかが記されています。シェバの女王の来訪もそのことを明らかにするエピソードとなっています。
1. 「自分で来て、自分の目で見るまでは」
- シェバの女王はソロモンの知恵と繁栄の事績について聞き及んでいましたが、「自分で来て、自分の目で見るまでは」、そのことを信じなかったと述べています。しかも、その半分も知らされていなかったと驚いています。
- そして、ソロモンの知恵を聞くことのできる家来たちをうらやましく思うと同時に、ソロモンを愛し(喜ばれ)、王座に着かせられた神をほめたたえています。シェバの女王のみならず、「全世界の者は、神が彼(ソロモン)の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた」(24節)とあります。その意味では、ソロモンは自分に与えられた知恵を通して神の栄光を現わす存在となったと言えます。
2. ソロモンに与えられた「知恵と繁栄」
- 「知恵」(wisdom)と訳された原語は「ホフマー」חָכְמָהで、旧約聖書では149回使われています。特に、箴言、伝道者の書の特愛用語です。
- ソロモンが王となったとき、主は夢のうちにソロモンに現われて、「あなたに何を与えようか。願え。」と言われた時に、ソロモンは「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心を与え下さい」と願いました。ソロモンの願いは主の御心にかない、「知恵の心と判断する心」とを与えると主は約束し、さらに「富と誉れ」をも与えると約束されました(列王記上3:1~14)。※
- シェバの女王はソロモンの「知恵と繁栄」について聞かされていました。ちなみに、「知恵」は「ホフマー」חָכְמָה、「繁栄」は「トーヴ」טוֹבです。シェバの女王や全世界の者が聞こうとしやってきた目的は、ソロモンのようにどうすれば繁栄を得ることができるのか、とんな「知恵」を必要とするのかといった実際的な知恵であったと考えられます。神に関する霊的な知恵というよりは、実際的な政治的能力としての知恵、つまり「統治能力」だと考えられます。民を正しくさばき治める能力、外交関係を平和に保つ能力、さまざまな知識や情報を得る能力、商いによって富を増やす能力、金銀と言った財宝を蓄える能力、また計画や目的を達成するためのノーハウなどが含まれます。これらを一括りにすると「知恵」という言葉で呼ばれるのです。
- 今日でも、成功した人や繁栄を築いた人たちを招いて、そのノーハウを学ぶためのセミナーが開かれたりすることがありますが、それは「全世界の者がソロモンから繁栄をもたらした知恵を聞こうとして訪ねて来た」動機と似ています。
- 23節には「ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。」とあります。栄華を窮めたソロモンの姿をここに見ることが出来ます。
3. 栄華を窮めたソロモンよりもまさった者
- 今回の10章は「栄華を窮めたソロモン」の存在に圧倒されてしまう箇所ですが、新約聖書の中に「ソロモン」に関して主イエスが語っていることがあります。
【新改訳改訂第3版】
マタイの福音書 12章42節
南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
マタイ 6章29~30節
29しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
30 きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
- マタイ12:42(並行箇所としては、ルカ11:31)は、ここにソロモンよりもまさった者がいるにもかかわらず、あなたがたは(ユダヤの指導者たち)はそれに聞こうとはしない。それゆえ、知恵を求めてソロモンを来訪したシェバの女王があなたがたを罪に定めることになるという意味です。
- マタイ6:29~30は、イエスは人々に野の花とソロモンの栄華を比較して、野の花の装いの美しさをたたえています。そして次にその野の花と人々とを比較しながら、神があなたがたによくしてくださらないわけがないとしています。ここの「よくしてくださる」というのは「衣・住」のことですが、神は実際、かつ霊的な意味合いにおいて、私たちを良いもので「覆ってくださる」と理解しても差支えないのではないかと思います。
- キリストこそ「ソロモンにまさる方」であり、この方こそ「力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。」(黙示録5:12)。このキリストのうちにとどまる者にもそれにふさわしいもので覆われることを信じたいものです。
※注
①「知恵の心」・・「レーヴ・ハーハーム」(לֵב חָכָם)、「ハーハーム」は形容詞。
②「判断する心」・・「レーヴ・ナーヴォーン」(לֵב נָבוֹן)、「ナーヴォーン」は動詞「ビーン」בִּיןの受動態の分詞で「識別力のある、分別のある、賢明な」という意味。
2012.9.26
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