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ヒゼキヤの寿命が15年間延ばされたことの意味

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列王記の目次

41. ヒゼキヤの寿命が15年間延ばされたことの意味

【聖書箇所】 20章1節~21節

はじめに

  • 20章には三つの事柄が記されています。

    第一は、ヒゼキヤの死の病が癒されて15年の寿命が延長されたこと。
    第二は、バビロン王からの使者が遣わされたこと。
    第三は、ヒゼキヤの業績(特に、地下水道を造ったこと)と彼の死についてです。

  • 20章の1節と12節の頭にある「そのころ」ということばがいつの時を指しているのかが重要です。19章の終わりにアッシリヤの王セナケリブが暗殺されたことが記されていますが、その時期を「そのころ」(脚注)と解釈するならば、20章はヒゼキヤの生涯において付け足し程度の意味でしかありません。しかし20章の「そのころ」をセナケリブによるエルサレム包囲の前とすれば、大きな意味を持つようになります。
  • 南ユダ王国における王の継承においては、前王の死後に次の王が継承されている場合と、ある期間共同統治をもって継承している場合とがあって王の正確な統治年代を確定するのは困難です。今回のヒゼキヤ王の場合、父アハズとの共同統治期間が13年程、また息子のマナセとは10年間の共同統治期間があったようです。以下、おおよその年代表を作成してみましたが、確定できない面があります。

画像の説明

1. 死の病になったヒゼキヤの奇蹟的ないやし

  • ヒゼキヤは腫物による死の病に冒されたようです。預言者イザヤが訪ねて来て、直らない病気のゆえに、「あなたの家を整理せよ」と命じます。新共同訳では「家族に遺言をしなさい」と訳されています。おそらく未だ後継者が即位していないということだと思います。
  • しかし、ヒゼキヤは主に涙ながらに祈ります。その祈りはこうです。
    ヒゼキヤ.JPG

    【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王20:3
    ああ、【主】よ。どうか思い出してください。
    私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、
    あなたがよいと見られることを行ってきたことを。

  • この祈りのことばの中で特徴的なのが、「あなたの御前に歩み」という部分です。ここでの「歩む」という動詞は、「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形のヒットパエル態が使われています。つまり、自ら、主体的に、自発的に主の前を歩んできたという意味です。かつて主はアブラハムに対して「あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」と語られましたが、そのときにも使われている「歩め」はヒットバエル態なのです。さらに言うなら、エノクもノアも「神とともに歩んだ」(創世記5:24,6:9)と記録されていますが、そこでも同様にヒットパエル態なのです。
  • ヒゼキヤは神に自ら神とともに歩んできたことを訴えたのです。そして、この祈りは聞かれたのです。そして主はヒゼキヤをいやすと答えられました。そのことで三日目には主の神殿に入ることができ、さらには15年寿命を加えることを約束されました。その目的は、「わたしはアッシリヤの手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべのためにこの町を守る」ためでした(20:6)。
  • なぜ、ヒゼキヤが死の病にかかったのでしょうか。推測ですが、アッシリヤの王セナナケリブがユダの城壁のある町々を占領したことを知ったヒゼキヤがアッシリヤの圧倒的な勢力の前に屈伏し、敵の歓心を得るための物質的な貢物によってエルサレムを守ろうとしたことが考えられます(18:13~16)。ヒゼキヤのしたことは、エルサレムをアッシリヤの脅威から守るのは神を信頼することだとする道から逸脱した行為でした。それゆえ神がヒゼキヤを癒す目的はただひとつ。それは、「わたしはアッシリヤの手から、あなたとこの町を救い出し、わたしのために、また、わたしのしもべのためにこの町を守る」(20:6)ということを教えるためです。
  • 死に瀕するような取扱いを通して、ヒゼキヤは癒され、再度、エルサレムを包囲しようとしているセナケリプとの戦いに備えさせたものと考えられます。その結果、ヒゼキヤと民たちはすばらしいパートナーシップを保ちながら、また神への信頼による静まりによって敵の心理作戦にも折れることなく立ち向かうとができたのです。このことによって、神はアッシリヤの大軍勢を一夜にして壊滅させるという奇しいみわざをなされたのでした。

2. ヒゼキヤの病気を見舞ったバビロンの王の使者

  • 20章12節の「そのころ」も、セナケリブによるエルサレム包囲前と考えるなら理解しやすいと思います。バビロンの王の使者たちが遠路はるばる贈物を持ってヒゼキヤが病気だという事で訪ねさせたのには、あきらかに政治的意図があるはずです。しかしヒゼキヤはそうした意図を介さず、自分の病気のことで親しく近づいてくれたバビロンの使者たちに無防備に好感をもってしまったのです。具体的には、その使いの者たちを歓迎して宝庫の中の物すべてを見せてしまったのです。
  • イザヤはヒゼキヤの態度の中に神の啓示を受け留め、やがてユダ王国が迎えなければならない神の審判としてのエルサレム滅亡とバビロン捕囚という出来事を語りました。それに対して、ヒゼキヤは「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」(20:19)と言っています。「ありがたい」と訳されたことばは「トーヴ」טוֹבです。なぜ「ありがたい」のでしょうか。それは19節後半にあるように、「彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったから」です。このことばを、自分中心的なことばとして解釈するか、それとも、今やアッシリヤの来襲の危機の中にあってエルサレムを守ってくださるのだという確信をもたらしてくれたことに対する感謝のことばとして解釈するか、読む者の心次第なのです。私としては後者の解釈が自然だと考えます。

3. 水源の確保と水路の建設


脚注
20章の1節と12節の頭にある「そのころ」と訳されていますが、訳語が同じであっても、原語は異なっています。1節の「そのころ」は「バッヤーミーム・ハーヘーム」(בַּיָּמִים הָהֵם)で、直訳としては「それらの日々に」となります。12節の「そのころ」は「バーエーット・ハヒー」(בָּעֵת הַהִיא)で、直訳的には「その時に」というなります。ヘブル語においては、私たちが考えるような厳密な時系列は重視されません。文脈の流れの中でしか理解できないことが多いのです。ちなみに、1節の「そのころ」も12節の「そのころ」も、B.C.701年のセナケリブが侵入する直前の出来事と考えられます。この二つの出来事(ヒゼキヤの病と15年寿命が延びたこととバビロンからの使者たちが訪問したこと)が、すぐにも起こるエルサレム包囲の危機において、ヒゼキヤが主を信頼して静まることのできる確信を予め与えた主の戦略(特別な扱いを受けるという経験)だったと言えます。ヒゼキヤはその名前が意味するように、まさに「主に強められた、力づけられた」王であったのです。

2012.12.5


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