主の計らいによるイスラエル王国の分裂の経緯
列王記の目次
13. 主の計らいによるイスラエル王国の分裂の経緯
【聖書箇所】 12章1節~33節
はじめに
- ソロモンが主に背いて、偶像礼拝の罪を犯したことによるさばきのことばが以下のように語られています。
【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記11章11~13節
11 それゆえ、【主】はソロモンに仰せられた。「あなたがこのようにふるまい、わたしが命じたわたしの契約とおきてとを守らなかったので、わたしは王国をあなたから必ず引き裂いて、あなたの家来に与える。
12 しかし、あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう。
13 ただし、王国全部を引き裂くのではなく、わたしのしもべダビデと、わたしが選んだエルサレムのために、一つの部族だけをあなたの子に与えよう。」
- ひとたび主が語られたことは、必ずその通りになります。イスラエルがどのようにして分裂を招いたのか、そのいきさつ(経緯)を12章は記しています。
1. 分裂の引き金は、繁栄の陰に隠れていた深刻な問題
- ソロモンの死後、繁栄の陰にはらんでいた深刻な問題が浮き彫りにされました。その深刻な問題とは「ソロモンがユダ部族を除く他の部族に対して負わせていた過酷な労働と重いくびき」でした。それに対する民の不満が一挙に爆発しました。
- 民の労働と重いくびきの軽減を求める訴えに対して、ソロモンの息子のレフハブアムは、長老たちの助言を退けて、自分と同年代の若者たちの助言を聞き入れ、民に対して「私の父はおまえたちをむちで懲らしめたが、わたしはさそりでおまえたちを懲らしめよう」(12:11)と言ってさらなる労働と重いくびきを課そうとしました。ここにある「さそり」とは、岩波訳の脚注によれば、「鞭の一種。おそらく柄の先に束ねた革紐の先にかぎ状のものが付いた。通常の鞭より残酷な懲戒の道具」とあります。
- このことによって、神が預言されたとおり、イスラエルは二つに分断されることになりました。北の10部族はかつてソロモンの有能な部下であったヤロブアムの支配の中に、残る二つの部族(ユダとベニヤミン)はユダの王レハブアムの支配の中に置かれました。それ以来、この二つの王国は分裂したままです。やがては北イスラエルは、B.C.721年にアッシリヤによって滅亡して異邦人の中に離散します。それから150年後に南ユダ王国はバヒロンによって神殿の土台も崩されて、かつ、捕囚の身とされますが、「70年」後には回復されます。
- しかし神の御計画によれば、イスラエルの12部族のすべてがメシアによって神のもとに立ち帰って来ることが預言されているのです。そこには神の深い御計画がありますが、今しばらくは、北と南に分裂していく王国の姿を見続けることになります。
2. 「分裂」は神の摂理であった
- イスラエルがソロモンの息子レハブアムの時代になって二つに分断されますが、それは神がそのように仕向けられたのだと聖書は語っています。
【新改訳改訂第3版】12:15
王は民の願いを聞き入れなかった。それは、【主】がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、【主】がそうしむけられたからである。【新共同訳】列王上 12:15
王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは主の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。
- ここで、「仕向け」とか「計らい」と訳された名詞は「スィッバー」סִבָּהで、ここにのみ1回限りで使われている語彙です(Ⅱ歴代誌10章15節では「ネスィッバー」נְסִבָּהで、その語彙も1回限りです)。いずれにしても語根はסבで、事柄を展開させる神の摂理を意味します。
- ダビデ、ソロモンによって統一された王国が分裂することは必ずしも神のみこころではありません。それは神にとって大きな痛みであったはずです。しかしそこにはかつて神がアブラハムに語ったように、「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」という深遠なご計画が隠されていたのです。再びイスラエルが統一されるのは、イエスが王なるメシアとして再臨されることで実現するメシア王国(千年王国)が来なければ成就しえないのです。そこへ至るまでには遠大な時の流れを必要とするのです。
3. 北イスラエルの初代の王ヤロブアムの宗教政策
- 神の計らいによってスタートした北イスラエル王国は、B.C.931年に始まり、B.C.721年にアッシリヤによって滅ぼされます。その間、210年の間に9回ものクーデターが起こります。つまり9つの王朝、19人の王が次々と交代しては消えて行きました。ちなみに南ユダ王国は一つの王朝でした。
- 北イスラエル王国の初代の王に就任したヤロブアムの最大の課題となったのは宗教政策でした。そのヤロブアム王が取った宗教政策の動機について、聖書は以下のように記しています。
【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記 12章26~27節
26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。
27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
- ヤロブアムの宗教政策は南のベテルと北のダンにそれぞれ金の子牛を礼拝の対象として設置しました。その動機は、エルサレムにある神殿に人々が礼拝していく限り、自分の権威を保つことは出来ないと考えたことにあります。そしていつか自分が王座から引きずり降ろされるかもしれない、あるいは殺されるかもしれないと考えたのです。ヤロブアムは王となった自分自身の身の保全を第一に考えたのです。
- また、ヤロブアムは「レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した」(12:31)とあります。もともとの神に仕える忠実な純粋なレビ人たちもいたのですが、それに加えてレビ人ではない政府の役人にすぎない者を祭司階級としてベテルに常住させたのです(ちなみに「ベテル」は北イスラエルと南ユダとの境目にある町です)。しかもヤロブアムは「自分で勝手に考え出した日」を祭りの日と定めました(12:32~33)
- このように、ヤロブアムの取った政策が初めからすでにソロモンと同じく、いやそれ以上に、偶像礼拝に染まっていたことが北イスラエル王国に滅亡の悲劇がもたらされる運命にあったと言えます。
2012.9.29
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