列王記における王の評価基準
列王記の目次
16. 列王記における王の評価基準
【聖書箇所】 15章1節~34節
はじめに
- 列王記15章には、南ユダ王国では3人の王が登場します。北イスラエルも同じく3人の王が登場しています。その時代はそれぞれが対立していていました。
- 列王記の著者は、それぞれの時代を治めた王たちの記録を基に、それぞれの評価を下しています。その評価の基準も明確です。
1. ヤロブアム以降の北イスラエルの王(ナダブとバシャ)
- ヤロブアムによってスタートした北イスラエル王国はアッシリヤによって滅亡するまで20人の王が立ちましたが、最初から偶像礼拝をして、だれ一人として宗教改革をする王はいませんでした。すべての王がヤロブアムの道を歩み、主の目に悪を行いました。ここでいう「悪」とは、偶像礼拝の罪を意味します。そこからすべての悪が生み出されてくるからです。その意味では、北イスラエル王国は初めから終わりまで良いものは何一つとしてありませんでした。
- 北イスラエル王国の特徴は、常に、王朝が変わっていることです。10部族からなっている王国ですから、それはやむ得ませんが、ひとつの王朝が倒れると、その王朝は次の王朝によって完全に根絶やしになるという運命がありました。その点、南ユダ王国は王が変わったとしても王朝が変わる事はありませんでした。
- この王国はその罪のゆえに、やがて北の大きな勢力によって滅ぼされるます。そしていわば異邦人と雑婚と異邦人化していきます。ところが、神の選びは私たちの想像をはるかに越えていて、神はこの北イスラエルの回復を実現しようとしているのです。それが神のご計画です。そのような視点から、この北イスラエルの歴史を見ていく必要があるのです。神の召命は変わることはないからです。
2. 南王国の王の評価基準
- 南ユダの王の評価の基準は「ダビデのように」歩んだかどうかということです。「ダビデのように」とはどういう意味でしょうか。
- 詩篇の中にダビデの特徴を現わしているものがあります。それは、詩篇27篇4節にあります。
【新改訳改訂第3版】詩 27:4
私は一つのことを【主】に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、【主】の家に住むことを。【主】の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
- このみことばにあるように、ダビデの特徴は「ただ一つのこと」です。ONE THING です。しかもその「ただ一つのこと」を、絶えず「求める」こと、熱心に「尋ね求める」ことです。神に対する渇きをもって、神を求める、神を尋ね求める、これが「ダビデのように」という意味です。
- 「求める」というヘブル語は「シャーアル」שָׁאַל、「尋ね求める」というヘブル語は「バーカシュ」בָּקַשׁです。後者は27篇に3回使われています。4,8,8節です。「求める、尋ね求める、慕い求める」と訳されますが、神への希求を表わす渇望用語と言えます。神とのより親しい交わりをだれよりも、また何よりも求めたダビデは、いつの時代においても、主にある者たちの霊的なモデルなのです。ダビデは真の礼拝者でした。
- 列王記の王の評価は、まさに「ダビデのように」歩む者は、善い王とされています。南ユダ王国の歴史においては、善い王は20人中7人しかおりません。その中で最も善い王として評価されているのは、ヨシヤ王です。
2012.10.5
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