****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

恩寵用語Ps4(2)

Ⅰ/A(1~41篇) | テキストPs4 | 原典テキストPs4 | 瞑想Ps4/A | 瞑想Ps4/B | 礼拝用語Ps4 | 恩寵用語Ps4(1) | Ps4の修辞 |

詩4篇 (2) 「ゆとりを与える」 רָחַב ラーハヴ

〔カテゴリー 救出〕

1節「あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。」 (新改訳)
1節「あなたは悩みの時に、わたしに安らぎを与えられた。」(関根訳)
1節「あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。」(口語訳)
1節「苦しみからあなたは〔かつて〕私を解き放って下さった。」(岩波訳)
1節「悩みのとき、広々とした所に連れ出し、」(フランシスコ会訳)

Keyword; 「ゆとりを与える、安らぎを与える、くつろがせる、解き放つ」 give relief,
4:1/18:36/25:17/35:21/81:10/119:32

  • 「ゆとりを与える」と訳されたラーハヴ(רָחַב)の本来の意味は、「広くする、広げる、大きくする」という意味です。119:32では「心を広くしてくださる」とあります。旧約で25回、詩篇では6回使われています。「悩みの時に」の「悩み」は「ツァル」(צַר)で、本来「狭い」という言葉ですが、そこから「逆境の時」「窮地に陥った時」という意味にもなります。「苦しみのときに、ゆとりが与えられる」とは、狭いところが広くされる、窮地にゆとりがもたらされるという恩寵です。
  • 「ゆとり」とは、「主が、ご自分の聖徒を特別に扱われる」(3節)ということを知ることを通して与えられるものです。それは、物質的、金銭的なゆとりではなく、「存在のゆとり」とも言うべき、神に愛されているという「特別待遇の自覚」によるものだと思います。つまりそれは「主がご自身ために(主の)恵みに生きる人を区別されるということ」を知ることです。しかもそれは逆境の中でこそ試され、確認されるものでもあります。苦しみの中にあっても「ゆとり」を持てることこそ、神との親密さのあかしと言えます。
  • また「ゆとり」は、4節に「自分の心に語り、静まれ」と命じているように、「沈黙」と密接な関係があると信じます。「沈黙」とは、単に、何も話さず黙っているということではなく、自分の周囲の出来事や状況に対して、ある一定の距離(境界線)を置くことを意味しているように思います。それは周囲の出来事や状況に支配されてしまわないためです。
  • そしてもう一つ、「ゆとり」と関連することばとして、「義のいけにえ」があります。「義のいけにえ」とは神との正しいかかわりを築くことだと私はここを理解します。ダビデの時代には、モーセの時代とは違って、「動物のいけにえ」でなく、「義のいけにえ」「賛美のいけにえ」「感謝のいけにえ」「喜びのいけにえ」「従順のいけにえ」という、いずれも神との親密なかかわりを表わす<霊的ないけにえ>が強調されるようになりました。
  • 「ゆとり」―「特別待遇の自覚」-「沈黙」(静まり)-「義のいけにえ」ー「喜び」ー「御顔の光」・・・これらはみなひとつにつながっているように思えます。多くの人々が「だれかわれわれに良い目をみせてくれないものか」と願っている中で、詩篇の作者は主の「御顔の光」を求めています。これこそイェシュアの言われた「良い方を選んだマリア」のライフスタイルであり、いのちの感覚を養うことであり、詩篇瞑想の目的なのです。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional