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アラムの王ハザエルの台頭

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列王記の目次

30. アラムの王ハザエルの台頭

【聖書箇所】 8章1節~29節

はじめに

  • 列王記下8章には、以下のように大きく三つの部分からなっています。


(1) シュネムの女が王から家と畑を返却される奇蹟(1~6節)
(2) ダマスコの王の交替(ベン・ハダデを暗殺したハザエル)の預言(7~15節)
(3) ユダの王ヨラムとアハズヤがイスラエルの王アハブの家の道を歩んだ(16~29節)

  • (1)~(3)の事柄はそれぞれ別々に見えますが、すべてがつながっているのです。どのようにつながっているのかがこの章の瞑想のポイントです。

1. シュネムの女が王から家と畑を返却される奇蹟(1~6節)

  • 北イスラエル王国において、アハブの治世になってからしばしばききんが襲っています。

Ⅰ列王 18:2
そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。

Ⅱ列王 4:38
エリシャがギルガルに帰って来たとき、この地にききんがあった。預言者のともがらが彼の前にすわっていたので、彼は若い者に命じた。「大きなかまを火にかけ、預言者のともがらのために、煮物を作りなさい。」

Ⅱ列王 6:25
そのころ、サマリヤには、ひどいききんがあった。そのうえ、彼らが包囲していたので、ろばの頭一つが銀八十シェケルで売られ、鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルで売られるようになった。

Ⅱ列王 8:1
エリシャは、かつて子どもを生き返らせてやったあの女に言った。「あなたは家族の者たちと旅に立ち、あなたがとどまっていたい所に、しばらくとどまっていなさい。【主】がききんを起こされたので、この国は七年間、ききんに見舞われるから。」

  • 北イスラエル王国にしばしばききんが襲ったのは、神の民がまことの神へ立ち返ることを目的に、神がそれを許しているからです。特に、北イスラエルの暗黒時代と言われるアハブ王の時代(オリム王朝)にききんが集中して訪れているのはそのためです。
  • しかし、そうしたききんの中にも神は人間の思いを越えた形で守られています。8章の「かつて子ども生き返らせてやった女の家族もそうです。彼女は七年間イスラエルから離れ、隣国のペリシテ人の地に滞在することで飢饉から守られています。
  • しかも、飢饉が終わって自分の国に帰って行ったとき、すでに王の所有となっていた自分の家と畑(土地)を返してもらったばかりか、七年間の畑の収穫分も返却されたのです。これはエリシャの10の奇蹟の中の最後の奇蹟です。これはあり得ないできごとです。この奇蹟は一体何を啓示しているのでしょうか。
  • 私が思うに、預言者エリシャの進言によって飢饉を逃れてペリシテの地に避難していた「女とその家族」は、イスラエルの「残りの者」を象徴しているように思います。そして、「ききん」に象徴される神の裁きの時が終わって自分の地に戻った時に、破格の恵みが施されたのいうことは、「イスラエルの回復」を示唆しています。

2. 神のさばきの道具としてのアラムの新しい王

  • 8:1に「主がききんを起こされた」とあるように、主ご自身の民を回復(矯正)させるために「ききん」を用いられることがあるのです。さらに「ききん」のみならず、敵国の圧迫によってそうすることは士師記の中で繰り返し教えられていることです。
  • 北イスラエルの国に対する主の取り扱いの道具として、7~15節には、アラムの新しい王となるハザエルが出てきます。彼はアラムの王ベ・ハダデの廷臣でしたが、預言者エリシャから「あなたがアラムの王となると、示された」と言われました。そしてすぐにハザエルはベン・ハダデを暗殺し、王となります。それは彼がイスラエルの罪に対する神のさばきの道具となるためです。
  • 「ハザエル」とは「見る」という意味の動詞「ハーザー」と神を意味する「エル」が結びついて、「神は見るむという意味です。彼は知らなくても、神は彼をご覧になり、神のご計画のたるに用いられたにすぎません。彼は残忍、無慈悲な者であり、事実、イスラエルに対しても、エリシャは「あなたは、彼ら(イスラエル)の要害に火を放ち、その若い男たちを剣で殺し、幼子たちを八つ裂きにし、妊婦たちを引き裂くだろう」と預言しています。それゆえ、エリシャは彼の顔をじっと見て、「泣き出した」のでした(11節)。

3. 北も南も共にアハブの家の道を歩んだ協調時代(16~29節)

画像の説明

  • イスラエルの王もヨラム、ユダの王もヨラムも全く同じ名前。彼らがアラムの王ハザエルと戦うために、ラモテ・ギルアデに行ったときにユダのヨラムは傷を負い、また、イスラエルのヨラムもその後、病気になったようだ。
  • アラムの王ハザエルが台頭した時代は、北イスラエルと南ユダとが協調した時代であり、かつ親戚関係であったために、南ユダも大きな霊的影響を受けた時代でした。

2012.11.7


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