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レビ記の主題、および構造

レビ記1. 主題、および構造

(1) 出エジプト記の主題とレビ記の主題との関係

① 出エジプト記の主題は「神の民の成立」であった。そのために神はイスラエルの民を〔贖い〕、〔契約〕を結び、神ご自身がイスラエルの真ん中に〔内住〕されるための幕屋を建造することを啓示した。この内住こそ神の民の奥義である。

② レビ記は、その幕屋に内住される神による「神の民の聖別」を主題としている。つまり、神に贖われた民が、いかにして神の民としてふさわしい存在となりうるかを規定する。具体的には、聖なる神に近づき、交わり、神に受け入れられる礼拝をするための手段と、神の民がその日常生活において、聖なるものと汚れたものとを峻別して歩む生き方が規定されている。レビ記は、神がモーセを会見の天幕に呼び寄せて一方的に語っている記録である。

(2) レビ記の鍵語
「聖」「聖別」(11章44、45節、19章2節、20章7、26節、22章32節)

①「聖」の概念

  • 聖は神の本質そのものを表わす。神が聖であるということは、神が本質的にすべての被造物とは全く異なる存在であることを表わしている。それはまた、ことばの概念や理解を超越したもの、常ならざるもの、非合理的、非日常的な内実を有した表現しきれない神秘である。その神が「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。」(19章2節)と命じている。それは当然、この世とは異なったあり方、分離された、排他的な、独自的な生活様式が要求される。
  • レビ記においては、「聖い」という言葉、あるいはそのことばから派生した言葉が実に150回も記されている。主はイスラエルの民にあらゆることにおいて、聖くあることを求められた。

②「聖別」の概念

  • 聖を表わすヘブライ語のカドシュは、本来、切り離し、区別され、取り分けておくという意味である。つまり、分離することを意味する。神と関わるものはすべて他のものと異なっていなければならない。混同されてはならなかった。レビ記は「聖なるものと俗なるもの、また、汚れたものときよいものを区別する」ための基準を定めている。また、聖なる神と関係をもつすべてのもの(人、物、場所、日、時・・等)が、適切な儀式(祭儀律法)を執行することによって、神に献げられたもの、神だけのもの、神のためにのみ用いられるふさわしいものとして区別されたのである。
  • 聖別の概念は少なくとも、以下の三つの意味を内容としている。
    画像の説明

(3) 「聖なるもの」に対する鋭敏な感覚の訓練としてのレビ記

①本来「聖なるもの」への鋭敏な感覚が欠落している人間に、この感覚を訓練することは至難な課題である。「聖なるもの」に対する感覚とは、聖なるものへの畏れに他ならない。この「畏れ」の感覚と対立するのが「狎れ」である。この「狎れ」が神の民として致命的であることを銘記させる出来事が10章にみられる。

②大祭司アロンの子、ナダブとアビブは異火をささげたことによってさばかれ死に至った。なぜなら、聖なる目的のために用いられる火は祭壇の火から得なければならなかったからである。しかしアロンの息子たちはそれに従わなかった。聖なる祭司を任じられているアロンの子たちは「聖なるもの」に対しては、その幼児から関心をもたされていたはずである。にもかかわらず、厳禁されていた異火をささげた行為は、まさに「聖なるもの」に対する「狎れ」を暴露する出来事であった。この時、モーセはアロンに主が仰せられたことを語った。「わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは栄光を現わす」と。それゆえアロンは黙っていたとある。祭司エリの二人の息子(ホフニ、ピネハス)は狎れの罪により、裁かれて死んだ。

③「狎れ」の恐ろしさは、「聖なるもの」と「汚れたもの」との識別力を失わせることにある。会見の幕屋に入るとき、ぶどう酒と濃い酒を飲む事を禁じる理由もまた「これはあなたがたが聖なるものと俗なるもの、汚れたものときよいものとを区別することができるため」と繰り返し強調されていることに注目しよう(10章8節以下、11章全体(特に、11章44~47節等)。

④「聖なるもの」の感覚を培うために神は贖いを求められる。16章20節以下にはイスラエルの民全体のための大贖罪日が規定されているが、その中に「アロンは生きているやぎの頭に両手を置き、イスラエル人のすべての咎と、すべてのそむきを、どんな罪であっても、これを全部それの上に告白し、これらをそのやぎの頭の上に置き、係りの者の手でこれを荒野に放つ」ことが記されている。この規定を通して、聖なる神とともに歩むために選ばれた者の罪や咎は決して消されるものではなく、それは必ず「代わってそれを負う」ものが要求されることを銘記するものである。

(4) レビ記の構造

  • レビ記の構造は以下のように二つに分かれる。

;レビ記の構造


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