主との親しい交わりを妨げるもの <2>
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A-14 主との親しい交わりを妨げるもの <2>
(2) 行動主義―自分を駆り立てる内なる衝動―
①抑えがたい衝動としての「囚われ」
- 「人生で傷ついてきた人々は、その代償や人からの承認、自分の存在意義を求めるあまり、何事かを達成しようとする、抑えがたい衝動を持っていることが多いものです。」とフーストンは述べている。抑えがたい衝動とは、換言するならば、ある種の<囚われ>である。どんな人にも多かれ少なかれ自分自身の<囚われ>がある。たとえば、
a. ある人はスケジュール表を予定で埋め尽くさなければという囚われをもっている。自分がいつも忙しく動いていないと不安になるほどである。こういう人は仕事中毒(ワーク・ホリック)と呼ばれる。
b. ある人は自分の目標とか、結果とかを少しでも早く達成しなければという囚われをもっている。(注) このような人はその目標の達成が遅れたり、なにかそれを妨げる人やモノが入ってきたりするとイライラしてしまうほどである。このような人はいつも何かに追いかけられて走っている。ゆっくりしたり、休んだりすることに対する罪悪感と焦燥感。ゆっくりとは、のろまに等しいと考えている。
c. ある人は自分が強くなければならないという囚われをもっている。そのために人には決して弱みを見せず、自分の弱点を突かれないようにいつも緊張をしているほどである。
d. ある人はすべてを完全にやらなければとう囚われをもっている。決して不完全な点があってはならないし、完全になろうとしていつも努力している。このこと自体は悪いことではないが、問題は不完全な自分を受け入れることができないことである。
e. ある人はいつも人とうまくやっていかなければならないという囚われをもっている。そのためにいつも妥協しなければならない。
f. ある人はいつも勝たなければという囚われをもっている。ゲームでもスポーツでも、テストの成績でも、いつも自分に勝利を義務づけている。健全な競争は必要であるが、現実的に考えていつも一番になることはできない。それゆえいつも不安を感じている。
g. ある人は規則を守らなければという囚われをもっている。そのような人にとっては、規則の本来の意味するところよりも、規則を守ることが大切であり、それに反したり、逸脱したりすることは不安になり耐えられないほどである。安定志向の仕事(お役所務めや管理)をしている人が多い。
- 以上のように、共通することは「・・できればいいが、・・できなければダメ」とする点である。行動主義者の内なる衝動。囚われ。しかしそれは実行不可能な駆り立てであるため、しようとすればするほど、泥沼にはまり込むことになり、ストレスを感じるようになる。そして挙句の果てには、自分の無能を嘆くか、あるいは自分を人や状況の犠牲者(被害者)だと思ってしまうのである。
② 自己防衛のための「囚われ」
- 私たちはこれらの<囚われ>のどれか一つ、またそれ以上のものに囚われている。これらの囚われは、神が本来造ってくださった「本当の自分」を見失ったところから出てきている。「囚われた自分」は神が本来与えてくださった自分ではない。罪ゆえに神から離れ、自分の存在が不確実になってしまったために、自分が造りだした「自己防衛」のための囚われなのである。
- このような囚われー意識的、あるいは無意識的衝動-は、祈りの精神に反するものである。なぜなら、真の祈りの生活とは自分自身の意志ではなく、神の御旨を求めるからである。
③ 「囚われ」からの解放
- 自分の囚われに気づくことがその囚われから解放される第一歩である。そして大切なことは自分の力によってはその囚われから解放されることがないことを認めること。これが第二歩である。そして第三歩は主の助けを求めることである。
- 他の人と比較したり、自分ではない自分を演じたりすることなく、それぞれに与えられた賜物と「召命」を知ることである。そのためには、いつも「静まって神の声を聞く」必要がある。詩篇62篇の作者は「私の魂は黙って、ただ神を待ち望む」(5節)と述べている。自分自身に備えられた神の計画があることを知り、その計画に沿えるように自分自身を神に明け渡すこと。そのように歩みはじめるならば、神の導きがはっきりと見えてくるはずである。
(注)
フーストンは「不幸なことに、達成を目指す人はどんなに努力しても祈りにおいて必ず失敗します。競争心が真の祈りを不可能にしてしまうのです。そういう人はおそらく、人間関係でも失敗するでしょう。人を思いどおり操りたいという誘惑がすぐに頭をもたげるからです。行動主義者は、思いどおり事を進めようと過度に活動することに慣れ親しんでいます。しかし、祈りは違います。祈りは、・・・・受け身の「待ち」の姿勢が必要とされるのです。」(『神との友情』29頁参照)
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