南ユダ王国最後の王ゼデキヤとエルサレム陥落
列王記の目次
45. 南ユダ王国最後の王ゼデキヤとエルサレム陥落
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【聖書箇所】 25章1節~30節
はじめに
- 南ユダ王国(ダビデ王朝)の末期の王たちについては混乱を招きかねない印象があります。列王記では淡々と起こった出来事だけを記しており、歴史的な断面である内部事情については、エレミヤ記を並行して読まなければ見えてない部分が相当あります。
- BC.597年、南ユダ王国のヨシヤ王が死んだあと、ユダの民はヨシヤの子エホアハズを王としました。しかしエジプトのパロ・ネコは彼を浜手の地リブラに幽閉し、ユダに金と銀の科料を課しました。その後、パロ・ネコはヨシヤのもう一人の子エホヤキムを王とし、幽閉していたエホアハズはエジプトに連れて行かれ、そこで死にます。
- エホヤキムがエジプトの傀儡として多くの貢物をパロ・ネコに贈るためにユダの人々のひとりひとりに割り当てて、取り立てざるを得ませんでした。そのエホヤキムが王のときにバビロンの王ネブカデネザルが攻め上って来たために、今度は三年間ネブカデネザルのしもべとなります。しかしその後、再び彼に反逆します。11年間エホヤキンが王として治めた後で死に、エホヤキムに代わってエホヤキンが王となって三か月後、バビロンの大軍がユダを攻め、結局、ユダは降伏します。エホヤキンはわずか18歳の若さで捕囚の身となってバビロンに連れ去られました。有能な指導者層の人々(1万人)も連れ去られ、エルサレムに残った民は貧しい民衆でした。これが第一次捕囚です。
- そのあとエホヤキムの叔父ゼデキヤがバビロンの傀儡政権の王となります。9年目にしてバビロンに反旗を翻したことによって、今度は徹底的な攻撃を受け、悲惨、かつ屈辱的な結果をもたらしました。これが第二次捕囚です。
1. ゼデキヤ王、バビロンに対する反旗とその結果
- 25章にはユダ王国の最後の王であったゼデキヤが登場します。ゼデキヤの前の王はエホヤキンでしたが、在位わずか三か月でバビロンに降伏し、エルサレムの有能な者たちが捕えられて捕囚となりました。その後に、バビロン王の意に添って王とされたのがゼデキヤでした。これは全くバビロンの言いなりの傀儡王であり、王という名に値しない地位でした。ゼデキヤの在位9年目でバビロン王に反旗を翻したために、3年間(実質は2年半)完全にエルサレムは包囲されました。そのために食糧は尽き、大変な飢饉に襲われたのです。
- 町の一角が破られたことによって王はエルサレムから脱出を図り、アラバヘの道(死海方面)へ逃亡しましたが、失敗に終わり、捕えられてしまいます。ゼデキヤの子どもたちは彼の目の前で虐殺され、彼自身も反逆罪として両目をえぐられ、青銅の足かせにつながれてバビロンへ捕囚されるという過酷な結果をもたらしました。
- 25章18~21節に記されている人物60名が殺されたことが記録されていますが、おそらく彼らたちはゼデキヤの取り巻き連中であり、バビロンに対する反旗を翻す路線を敷いた反バビロン主義者(親エジプト派)たちであったと思われます。つまり、預言者エレミヤによる神の使信(警告)を善しとせず、それを無視した人々でした。
2. エルサレムの城壁の破壊、エルサレムが焼き払われる
- ゼデキヤがバビロンへと捕囚された後に、エルサレムは城壁は崩され、エルサレムの家や建物は焼き払われ、降伏した民たちはバビロンへ捕え移されました。B.C.587年の出来事です。この出来事の悲惨さについては「哀歌」に記されています。
3. 親バビロン派の総督ゲダルヤの暗殺
- ユダに残った者(貧民)たちのために、バビロンの王ネブガデネザルは新バビロン派のゲダルヤを総督としました。ゲダルヤは書記官シャファンの孫です。当時のエルサレムには、書記官シャファンの一族と、王族の書記官エリシャマの一族がいました。その一族の一人イシュマエルがシャファン一族のゲダルヤを暗殺しました。その理由は、ゲダルヤが預言者エレミヤの告げた神の御告げに添った路線を歩もうとしていたからです。
- ゲダルヤは彼の部下たちに次のように語っていました。
【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王 25:24
「カルデヤ人の家来たちを恐れてはならない。この国に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたはしあわせになる。」
- 上記のことを証言しているのが、27~30節の部分です。
【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王記25章27~30節
27 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、28 彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
29 彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。30 彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
- 上記の記述は、エレミヤが真実の預言者であったことを証明するものです。捕囚となった王エホヤキンが37年目にして名誉が回復されました。この回復は神のあわれみであり、やがて実現されることになる「捕囚から帰還」を予告させる出来事でした。しかも、他の国の王たちよりも厚遇の扱いを受けたのです。
- このような神の恵み深い取扱いを通して、神の民は偶像から全く縁を切り、神が彼らに与えた神の教え(律法;ト―ラー)を自分たちの生活の基準として、トーラー・ライフスタイルを築くようになったのです。これこそ、捕囚がもたらした神の産物だったのです。
2012.12.12
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