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エルサレム陥落への坂道

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列王記の目次

44. エルサレム陥落への坂道

【聖書箇所】 23章31節~24章20節

はじめに

  • BC.609年、ユダの全国民はヨシヤの死を悲しみ、エレミヤは彼のために哀歌を作りました。ヨシヤの死は、後の時代の背教と南王国滅亡という事態へとー坂道を転げ落ちるように、だれもとどめることのできない事態へとー急転する引き金となっていきます。

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    脚注

1. 神のさばきの用語

  • これまでも何度が記述されたているユダ王国の陥落の原因は、マナセがした罪なき者たちの血を流した罪にあることが24章3~4節でも繰り返されています。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王記24章
3 ユダを主の前から除くということは、実に【主】の命令によることであって、それは、マナセが犯したすべての罪のためであり、
4 また、マナセが流した罪のない者の血のためであった。マナセはエルサレムを罪のない者の血で満たした。そのため【主】はその罪を赦そうとはされなかった。

  • ヨシヤの宗教改革によっても取り消されることのなかった神のさばきは人間の力による矯正の度を越えたものでした。そのために神は完全にご自身の民を新しくリセットするために、さばきを余儀なくされたのです。
  • 23章には三つの神のさばきの用語が使われています。

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(1) 「アーヴァド」(אָבַד)
頻度数184回。24章2節ではヒフィル態で「滅ぼす」と訳されています。基本の意味としては、「失う」「(消え)うせる」「滅びる」「さまよう」「迷う」。ピエル態では「滅ぼす」「迷わす」。ヒフィル態では「滅ぼす」「消し去る」

(2) 「スール」(סוּר)
頻度数300回。24:3では「除く」と訳されています。基本の意味としては、「わきへそれる」「離れる」という意味。ヒフィール態では「離す」「取り除く」と訳されます。良い意味では人が自ら偶像などを取り除くことですが、悪い意味では神が民を「移し」たりね「退ける」という意味で使われます。

(3)「シャーラフ」(שָׁלַך)
頻度数125回。24章20節では「(主の御前から)投げ捨てられた」と訳されています。この動詞の基本形はなく、ヒフィル態で使われます。「投げる」「投げ捨てる」「まき散らす」という意味です。

2. ユダに対するさばきは神の懲らしめ

  • 主なる神は「恵みとまこと」の神です。旧約聖書には「恵みとまこと」という表現が約20回も使われています。「恵み」は「ヘセド」(חֶסֶד)、「まこと」は「エメス」(אֱמֶת)です。詩篇85篇10節に「恵みとまこととは、互いに出会い」とありますが、この二つのことばは本来、相反する概念であり、相容れないものです。ところが、それが「互いに出会っている」のです。
  • たとえば、車の給油ためにスタンドへ行き、店員に3千円分のガソリンを入れてくれるように現金を渡したとします。店員はその金額に見合う量を正確に給油してくれます。それはまこと(真実)です。ところが、その店員がさらに10リッター追加して給油してくれたとします。しかもその追加分を請求しないとしたら、それはもう「まこと」ではなく、「恵み」なのです。
  • 神のさばきは「まこと」という基準によってなされます。だとすれば、それで終わりです。神が不義に目をとめられるなら、だれも主の前に立つことは出来ません。私たちは神の真実(まこと)の基準によれば、すべて罪人です。ところがそこに「恵み」が入って来ると状況は一変します。
  • 旧約聖書の神のさばきは「恵みとまこと」という神の計らいがなさるのです。やがてユダに降りかかる「バビロン捕囚」という憂き目は「まこと」です。しかし「恵み」があるのです。そのために神はその捕囚から解放し、自由とされますが、その顧みによって神の民は造り変えられるのです。それゆえ、エレミヤは「わたしがあなたがたのために立てている計画はわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ」と言っているのです。

新改訳改訂第3版 ヘブル人への手紙12章

5「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。

11 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。12 ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。



脚注
●「ヨシヤ」という名前のヘブル語表記は「ヨーシッヤーフー」(יֹאשִׁיָּהוּ)です。この名前の持つ意味は「主はあきらめた、失望した」です。「主は」を意味する「ヤーフー」(יָּהוּ)と「絶望する、あきらめる、失望する」を意味する「ヤーアシュ」(יָאַשׁ)が結び合わされた名前です。「主が絶望する、あきらめる」という意味の名前がヨシヤだということは驚きですが、そこに神の深いみこころが隠されています。

2012.12.11


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