蟻のやり方を見て、知恵を得よ
箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。
聖書を横に読むの目次
14. 蟻のやり方を見て、知恵を得よ
【聖書箇所】6章1〜19節
ベレーシート
- 6章1~19節の箇所から、6~11節に限定して、「なまけ者」に対する「蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ」という格言を考えてみたいと思います。
- 新共同訳の「箴言」にはいくつかのサブタイトルが記されています。たとえば、
父の諭し | (1)1:8~19 | (2) 2:1~26 | (3)3:1~12 | (4)3:21~35 |
(5)4:1~27 | (6)5:1~23 | (7)6:1~5 | (8)6:20~35 | (9)7:1~27 |
知恵の勧め | (1)1:20~33 | (2)3:13~20 | (3)8:1~36 | (4)9:1~6 |
格言集 | (1)6:6~19 | (2)9:7~12 | (3)10:1~22:16 |
- 上記の表を見ると分かるように、6章6~11節は最初の「格言集」の中にあることが分かります。「格言集」は「箴言」と同じく「ミシュレー」(מִשְׁרֵי)です。
1. 「なまけ者」の特徴
【新改訳改訂第3版】箴言6章6~11節
6 なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。
7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、
8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。
9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。
10 しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
11 だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。
- 「なまけ者」(「アーツェール」עָצֵל)という語彙は、旧約では箴言の中にしかありません。箴言には14回登場しています。その14箇所は、6:6, 9/10:26/13:4/15:19/19:24/20:4/21:25/22:13/24:30/26:13, 14, 15, 16 です。これらの箇所から「なまけ者」の特徴をまとめてみると、以下のようにまとめることができます。
(1) 蟻から知恵を学ぶ必要がある。
(2) なまけ者は雇い主の悩みの種である。
(3) なまけ者は欲の皮だけ人一倍張っている。
(4) 一年中、やっかい事を抱え込んでいる。
(5) 面倒なことは一切しない。
(6) なすべきことがあるにもかかわらず、「もうちょっと」「もうちょっと」と後回しにする。
(7) 自分は働かないで、物を欲しがる。人をうらやむことしか知らない。
(8) よく言い訳をする。
(9) 自分は人一倍知恵があると思い込んでいる。
(10) すべてが後手後手で、気がついた時には手遅れになる。
- 全体的に、「なまけ者」は自己中心です。聖書では神の事柄に対して「目をさましていなさい」「起きなさい」と、姿勢が問われているにもかかわらず、「なまけ者」にはその意味することが分かりません。
2. 蟻を見て、蟻から知恵を得よ
- 「蟻」(「ネマーラー」נְמָלָה)も旧約聖書の箴言でしか使われていません。しかも3回(6:6, 7/30:25)です。箴言30章25節では、地上で小さい生き物であるにもかかわらず、「知恵者中の知恵者」(「ハハーミーム・メフカーミーム」הֲכָמִים מְחֻכָּמִים)として四つの生き物(蟻、岩だぬき、いなご、やもり)が記されていますが、その筆頭に挙げられているのが「蟻」です。
- 「蟻」には「働け」と命じる支配者がいませんが、それでも自分の務めを果たし、一生懸命に働きます。夏のうちに食糧を集めて確保しますが、それは単に食物を貯えるためではなく、むしろ巣作りとして集めるようです。つまり、群れのいのちの継承のためです。おそらくそこに、蟻が「知恵者中の知恵者」と言われる理由があるのだと思います。単に食糧を貯えるためだけであるなら、蟻だけでなく、他にもそうした特性を持つ生き物が多くいるはずです。
- イェシュアも生存と防衛の保障を求めて心配し、思い煩っている群衆に対して、「空の鳥を見よ。」「野のゆりを見よ。」と言って、自然界の中でそれらがどのようにして生きているかをじっくり観察するようにという意味で、「よくわきまえよ」と言っています(マタイ6:28)。「よくわきまえる」とは「熟考する」ということです。ギリシア語は「カタマンサノー」(καταμανθάνω)で、新約ではこの箇所しか使われていない語彙ですが、アオリストの命令形が使われています。アオリストの命令形は、自覚的、主体的な行為を求める時制(=様態)です。
- 箴言の場合は、「なまけ者」に対して、「蟻」のところに行って、蟻をよく観察して、その蟻から「知恵を得よ」と命じています。「行って」「よく観察して」「知恵を得よ」という三つの命令ですが、そもそも面倒なことをしない「なまけ者」にとってはハードルの高い命令です。
3. 蟻から学ぶべき知恵とは何か
- もし蟻が巣作りのため、群れのいのちの継承のために、目の前にあるなすべきことを日々コツコツと行なって備えをするということであれば、それは「先見の明」があるということです。つまり将来を見通して、先取りして備えていく能力です。それは「情報の収集能力」「着眼点」「発想力」「洞察力」といった他の能力と連結しています。必ずやその時が来ることを予想して、備えていく生き方です。しかしそれは蟻がその群れのためにそうするように、神のご計画のために献身的な働きをする生き方ではないかと考えます。
- 蟻をよく観察した学者の報告によれば、蟻の群れでは100匹のうちの20%は働いていないようです。では残る80匹を取り出して観察すると、やはりその80匹の20パーセントは働きをしないという結果になるようです。そうした一つの社会でも、全体のいのちの存続と継承のために80パーセントの蟻は働いているのです。果たして人間の社会ではどの程度の者が献身的に働くことでしょうか。蟻の優秀な社会機構に見習わなければなりません。特に、「なまけ者」にとっては・・。
- 聖書の人物を見ても、自分の時代、自分の時が来たときに、それが有益な働きとなるためには、それなりの準備期間があったようです。ここでは三人の人物を取り上げてみたいと思います。
(1) ヌンの子ヨシュア
●彼はモーセの従者として、モ―セと共に過ごし、出エジプトした第一世代に代わって次の世代を約束の地カナンに導き入れた指導者です。彼はモーセのもとで、リーダーシップとフォロアーシップを学んでいたはずです。カナンの地においてヨシュアは12の部族がそれぞれの地を取得するための良き指導者となりました。
(2) 祭司であり、律法学者のエズラ
●エズラがバビロンからエルサレムに帰還するに当たって、彼が特にこだわったのはレビ人の存在でした。なぜなら、エズラに与えられていた神からのヴィジョンを実現するために必要な人材だったからです。
●エズラは大祭司の家系の一人であると同時に、律法に精通した学者でした。彼がエルサレムに帰還して成し遂げようとしたことは何であったか。それは神の民をして、真の神を礼拝する民とすることでした。レビ人はかつて神殿における礼拝のためのさまざまな働きを担っていました。しかしその時エズラが彼らに求めた働きは、もっと高度なものではなかったかと想像されます。
●新しい神の民として、祭司の王国にふさわしい神の民として回復するためには、またまことの神を礼拝する民として回復するためには、教育が必要であったはずです。エズラは神の律法を教え、律法を会堂で朗読するために、聖書を編纂しました。また聖書の写本といったこれまでにない働きを担う人材が必要でした。エズラはエルサレム帰還前にバビロン中を捜して238名のレビ人をスカウトしました。そのリーダー的な存在となった11名を含めると、249名となります。一つの国において249名という人数は多くはありませんが、彼らがエズラの働きを支えて行ったと考えられます。
(3) ペルシア王の検酌官であったネヘミヤ
●ネヘミヤはエルサレムの神殿が再建された後に、エルサレムを囲む城壁が崩れたままであることに心を痛め、城壁再建のために自ら献身する覚悟を持ちました。しかし、彼はペルシア王の検酌官であり、王の許可なくその働きに携わることは不可能でした。しかし彼の時が来たのです。王の計らいで、その働きに従事できる道が開かれました。しかも城壁再建のための費用の一切は王が負担してくれたのです。そして彼はエルサレムに行き、そこの情報を収集し、周到な準備をしたあとで、人々に再建工事のための動機づけをしてその働きに取り掛かりました。何と52日間という短期間でその大事業を成し遂げました。その背景には、ネヘミヤに対するペルシア王の信頼がありました。この信頼はそう簡単に築けるはずがありません。日々の小さなことに至るところにまで、王の信任を得たからこそ、道が開かれた時に事をなすことができたと言えます。
2015.11.24
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