****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

命令はともしび、おしえは光、叱責はいのちの道

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

15. 命令はともしび、おしえは光、叱責はいのちの道

【聖書箇所】6章20〜35節

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  • 箴言6章20~35節は、「父の諭し」の第八回目に当たる箇所です。ここでの諭しの中心点は、人妻や友人の妻と姦通するならば、身の破滅を招くという警告です。たとえすべての財産をもって償おうとしても、相手の夫はその償いを受け入れることはなく、激しい嫉妬で復讐するとき、決して容赦しないからとしています。姦通罪の恐ろしさを、両親は子に教えようとしているのです。

【新改訳改訂第3版】箴言6章20~23節
20 わが子よ。あなたの父の命令を守れ。
あなたの母の教えを捨てるな。
21 それをいつも、あなたの心に結び、
あなたの首の回りに結びつけよ。
22 これは、あなたが歩くとき、あなたを導き、
あなたが寝るとき、あなたを見守り、
あなたが目ざめるとき、あなたに話しかける。
23 命令はともしびであり、おしえは光であり、
訓戒のための叱責はいのちの道であるからだ。

  • 主にあるこのような両親を持つ子は本当に幸いです。箴言の中にある「父の諭し」の中で、「父」と「母」がセットで登場するのは、1章8節と6章20節だけです。

【新改訳改訂第3版】箴言1章8~9節
8 わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。
9 それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。

  • 父と母は子にとって神の代理者です。神のみこころを悟った両親が共に子に対して、神のみこころにかなった家庭教育を施しているのです。これは今日のキリスト教会が取り組まなければならない切実な課題です。神がアブラハムとその妻サラを選ばれたのは、主にある家庭教育を通して、神のご計画を実現するためでした。男と女とが結婚によって結ばれて一体となることの中に、目に見えない神のご計画とみこころがあります。箴言における父と母の主にある教育は、天における神の家族を実現するための、地上における取り組みと言えます。神に選ばれた男と女が結婚して、そこに子が与えられて家族がつくられますが、その家族の中に天における神の永遠のヴィジョンが目に見える形で現わされているのです。しかも、「父」「母」「子」にはそれぞれ担うべき務めがあります。それをヘブル文字から説明したいと思います。

1. 家族における「父」「母」「子」の役割

(1) 「父」の役割

●家族における「父」の役割は、ヘブル語の「父」を意味する「アーヴ」(אָב)の文字の中に表されています。最初の文字の「アーレフ」(א)は古代ヘブル語では「雄牛」を表す絵文字です。「雄牛」は力や強さを象徴しています。二番目の文字の「ベート」(ב)は「家」を表します。ですから、「父」(「アーヴ」אָב)は、「強い家」「確固とした家」を備える存在なのです。

(2) 「母」の役割

●家族における「母」の役割は、ヘブル語の「母」を意味する「エーム」(אֵם)の文字の中に表されています。最初の文字である「アーレフ」(א)は「父」のところで説明したように、「力」を表します。二番目の文字である「メーム」(ם)は、古代ヘブル語では「水」を表します。つまり、「母」を意味する二つの文字は「強い水」を象徴しています。古代の人々は動物の皮を水の中に入れて沸騰させることで、粘着性の強い濃厚な液体を取り出し、それを接着剤として用いていたようです。つまり、「母」(「エーム」אֵם)は、「強い水」のように家族を一つに結び合わせる役割を果たす存在なのです。

(3) 「子」の役割

●家族における「子」の役割は、ヘブル語の「子」を意味する「ベーン」(בֵּן)の文字の中に表されています。最初の文字である「ベート」(בּ)は「家」を意味します。そして二番目の文字「ヌーン」(ן)は、古代ヘブル文字では「種」を象徴しています。つまり、「子」である「ベーン」(בֵּן)は「家族の種」「家を継承する」存在を意味しています。


※Jeff A.Banner “The Living WordsーVolume One” (56~58頁参照)。

  • 「夫婦」であっても神のヴィジョンを写し出すことができますが、「父」と「母」と「子」がいることで神のヴィジョンを「目に見える形」で表わすことができるのです。両親が自分の子どもに対して、 「わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。」(箴言1:8)と言うのも、「わが子よ。あなたの父の命令を守れ。あなたの母の教えを捨てるな。それをいつも、あなたの心に結び、あなたの首の回りに結びつけよ。」(箴言6:20~21)と厳しく育てるのも、そこに神のご計画と神のみこころと目的が深くかかわっているからです。

2. 主にある「家庭教育」を建て上げるための根源的思考の必要

  • 子どもに対して成熟した教育をする両親の存在と、そしてそれを神の教えとして聞き従うことのできる子の存在。ここに家を建てる召しと使命があります。
  • 主にある「家庭教育」を建て上げることは今日のキリスト教会の急務です。単に教会に子どもを集めるためのイベントに終始したり、あるいはクリスチャン・ホームができれば良いという発想では、主の家庭(家族)を建て上げることはできません。
  • 使徒パウロは「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)と述べています。目に見える世界は、実は、目に見えない世界の反映なのです。光源としての光(太陽)の存在は、目に見えない光(神のご計画、みこころ)の写しなのです。見えない世界が、見える世界を支えているのです。ですからパウロは「見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます」と述べているのです。これはパウロのものの考え方です。つまり、本源(根源)的視点から物事を考えるという思考法です。
  • 主にある「家庭教育」という課題を一つ取っても、目に見えない根源的視点から考えない限り、その取り組みは「決勝点がどこかわからないような走り方」や「空を打つような拳闘」となってしまいます。その意味では、主にある家族の両親が成熟した者にならなければなりません。そして「わが子」に単なる処世術的教育やしつけをするのではなく、神の本源的ご計画、神の本源的なみこころを通して教育していく必要があるのです。これは片手間ではできない大事業であり、そして難事業です。家庭のみならず、教会、そしてその上にある組織全体が目ざめる必要があると信じます。このことは、今日の日本の少子化とは全く関係がありません。子どもが教会にたくさん来ていた時には、事の重大さに気づいていなかったのではないかと思うのです。子どもの数が多かろうと少なかろうと、取り組まなければならない課題なのです。
  • 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」(詩篇127:1)とあるように、「主が家を建てる」ためには、私たちが「主が家を建てる」とはどういうことなのかを知る必要があります。つまり、私たちのヴィジョンではなく、神の永遠のご計画(ヴィジョン)に焦点を合わせることから始まるのではないかと考えます。そのためには鳥瞰的視点をもって聖書を読む必要があります。聖書の読み方を変えることが求められているのです。なぜなら、そこに神の知恵が隠されているからです。

2015.11.25


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