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恩寵用語Ps18(3)

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詩18篇(3)「大きくする」 רָבָה ラーヴァー

〔カテゴリー賦与〕

「あなたの謙遜は、私を大きくされる。」(新改訳)

Keyword; 「大きくする」 増し加える

  • 詩篇18篇の後半では「戦いのために」というフレーズが出てきます。ダビデの念願は主の家を建てること、神を礼拝するための神殿を建設することでした。しかし、神はそれをダビデにではなく、ダビデの子ソロモンにさせる計画でした。ダビデの時代的使命はイスラエルの周辺諸国との戦いを通して、神の国(支配)を拡大することでした。それゆえダビデの生涯は多くの戦いを余儀なくされました。その「戦いのために」、ダビデは主が「私の手を鍛え」「私の腕を青銅の弓を引けるようにされる」「私に力を帯させる」(32, 39節)と告白しています。ダビデの勝利は実にめざましく、イスラエルの歴史において黄金時代を気づきました。しかしここで重要なことは、ダビデが「あなたの謙遜は、私を大きくされる」(35節)と告白していることです。
  • 35節をいろいろな訳で見てみると・・
    「あなたの謙遜は、私を大きくされる。」(新改訳)
    「あなたは自ら降り、わたしを強い者としてくださる。」(新共同訳)
    「あなたの謙遜が、私を豊かにする。」(岩波訳)
    「あなたの謙りは、わたしを大いなる者とする。」(関根訳)
    「わたしを顧み、大いなる者とされた。」(フランシスコ会訳)
    「わたしを顧み、・・力ある者とされた。」(典礼訳)
  • 興味深いことに、フランシスコ会訳と典礼訳が、「謙遜」(名詞「アナーワー」עֲנָוָה)を意訳して動詞的に「顧み」と訳していることです。つまり、主の謙遜とは、この私を顧みてくださり、私を下から支えてくださるというふうに受け止めることができます。ちなみに、「謙遜】と訳された「アナーヴァー」(עֲנָוָה)は、旧約で7回、詩篇では2回(18:36/45:5)のみです。
  • 「大きくされる」(新改訳)と訳された「ラーヴァー」(רָבָה)は、本来、「増す、増し加わる、増える」という意味です。数や量、財、力、年齢、栄誉などが増し加わることで、「大きくされる」「大いなる者とさる」「強い者とされる」「豊かにされる」「力ある者とされる」ということになります。
  • 詩篇18:50にも「ラーヴァ」が出てきます。「主は、王に救いを増し加え(רָבָה)、油注がれた者、ダビデとそのすえに、とこしえに恵みを施されます。」
  • 神の謙遜は御子イエス・キリストを明確に私たちに示されました。ピリピ2章には「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。ご自分を卑しくし、死にまで従い、実に(恥辱の極みである)十字架の死にまでも従われ」ました。それゆえ、「神はキリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになった」のでした。

主は、私たちを高くするために、自ら、低くなられました。
主は、私たちを富む者とするために、自ら、貧しくなられました。
主は、私たちを強くするために、自ら、弱くなられました。
主は、私たちを豊かにするために、自ら、乏しくなられました。

  • これが神の謙遜(へりくだり)であり、この謙遜によって、私たちは支えられ、大いなる者、豊かな者、力ある者とされているのです。この恩寵を決して忘れなかったダビデこそ、イスラエルの理想的な王でした。これは一つの型です。ダビデが大いなる者とされたように、私たちもキリストの謙遜(支え)によって、そのような者とされる祝福が備えられているのです。

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