****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

「(集め、帰らせ、住まわせる)帰還の約束」


6. (集め、帰らせ、住まわせる)「帰還の約束」

【聖書箇所】エレミヤ書32章1~15節1、36~37節

ベレーシート

●今回のエレミヤ書32章は、30~31章を補完しています。特に31章9節の「わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る」、13節の「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる」にある「慰め」の根拠が、口頭による預言ではなく、「アナトテの土地を買う」というエレミヤの預言的行動によって啓示されています。神のご計画を知れば知るほどその愛の広さ、長さ、高さ、深さに驚かされると同時に、パウロと同様、私たちの小ささを思い知らされます。しかしそんな小さな私たちを慰めてくださる神がおられるのです。

1. 監禁されたエレミヤ

【新改訳2017】エレミヤ書32章1~2節
1 ユダの王ゼデキヤの第十年、ネブカドネツァルの第十八年に、【主】からエレミヤにあったことば。
2 そのとき、バビロンの王の軍勢がエルサレムを包囲中であって、預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある監視の庭に監禁されていた。

●1節にある「ユダの王ゼデキヤの第十年」とはB.C.587年のことです。このときすでに「バビロンの王の軍勢がエルサレムを包囲中であって」(2節)とあるように、ユダ王国の滅亡は時間の問題でした。そのとき「預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある監視の庭に監禁されていた」のです(2節)。エレミヤはそれまで、長い間「丸天井の地下牢」に入れられていました(37:16)。そこから出されて、「監視の庭」に監禁されたのです。その理由は、ユダの王ゼデキヤがエレミヤの預言の真意を確かめるためでした。以下のように記されています。

【新改訳2017】エレミヤ記32章3~5節
3 ユダの王ゼデキヤは、エレミヤを監禁するとき、次のように尋ねたのだった。「なぜ、あなたはこのように預言して言うのか。『主はこう言われる。見よ。わたしはこの都をバビロンの王の手に渡す。そして彼はこれを攻め取る。
4 ユダの王ゼデキヤは、カルデア人の手から逃れることはできない。ゼデキヤは必ずバビロンの王の手に渡され、口と口で彼と語り、目と目で彼を見る。(=面と向かうことになるということ)
5 彼はゼデキヤをバビロンへ連れて行く。そしてゼデキヤは、わたしが彼を顧みるときまでそこにいる─主のことば─。あなたがたはカルデア人と戦っても、勝つことはできない。』」

●エレミヤが預言したように、ゼデキヤはエルサレムから逃れようとして捕らえられます。バビロンの王ネブカドネツァルはゼデキヤの子たちを彼の目の前で殺し、そして彼の両目をえぐり出してバビロンに連行します。そして彼はそこで死にます。まさに一国が消えてしまうという歴史的出来事をエレミヤは経験したのです。

●エレミヤは、ヨシヤの治世13年に預言者として召され、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの時代を経て、エルサレム陥落後まで活動した預言者です。イスラエルの歴史において、最も悲劇的な時代を生きた預言者です。ユダ王国が破局に向かって進んでいた時代、まさに動乱の時代に神のことばを語ることが、エレミヤに定められた召しでした。ですからエレミヤは、「涙の預言者」と言われるほどに悲しみを体験した人でした。

画像の説明

●エレミヤ書の最終章である52章には、以下の内容について記されています。
(1) ゼデキヤ王が治世9年目に、主のみこころに逆らってバビロンの王に反逆したこと(1~3節)
(2) エルサレムの陥落(4~11節) 
(3) ゼデキヤ王の逮捕と息子たちの殺害(8~11節)
(4) 破壊と捕囚(12~16節) (5) 神殿の破壊と略奪(17~23節)
(6) 捕囚民の数(28~30節)
(7) バビロンの地で優遇措置を受けたエホヤキン(31~34節)

●ここで特に取り上げたいのは最後の(7)です。つまりエホヤキンに対する優遇措置です。なにゆえに彼はバビロンにおいて優遇措置を受けたのでしょうか。そしてそれはユダの民にとって何を意味したのでしょうか。その点に目を向けてみたいと思います。ユダの民がバビロンの手に落ちるということは、預言者エレミヤが終始一貫して語ってきたメッセージでした。しかもそれだけでなく、何とバビロンの町の平安を求めて主に祈ることでした。それがユダの民に対して将来と希望とを与える主の計画であるということでした(エレミヤ29:7~11)。しかしその経緯について、エレミヤは啓示されてはいませんでした。

ヨシヤ王の最初の息子のエホアハズはヨシヤ王の死後にユダの民が立てた王でしたが、三か月後にエジプトは彼を捕らえて幽閉し、傀儡王としてエホヤキムを擁立しました。エジプトのパロ・ネコが多くの貢ぎ物を要求したため、エホヤキムはそのつけを民に課して重税と不正を行ないました。しかしエジプトの勢力が次第に衰え、バビロンの勢力が増してきます。エホヤキムは3年間バビロンに仕えますが、B.C.601年、エジプトの国境まで進出したバビロンが大きな打撃を受けて敗退したのを知り、それまでの政策を改めてバビロンへの服従を取り下げました。このときネブカドネツァルはすぐには反応せず放置しましたが、B.C.598年にエホヤキムが世を去り、息子のエホヤキンが王位についたとき、ただちに行動を取ってエルサレムを攻め、わずか三カ月で降伏させたのです。そのとき、エホヤキンとその家族、そして有能な者たち1万人がバビロンに連行されました(この中にダニエルがいました)。これが第一回目の捕囚(B.C.597)です。その後、バビロンの傀儡王としてゼデキヤが擁立されますが、その治世九年目に彼がバビロンに反逆したことによりエルサレムは包囲され、その二年半後に籠城による飢饉状態はその極みに至り、城壁の一部が破られたことでゼデキヤ王がエルサレムから逃亡し、多くの戦士も逃亡したことで、エルサレムは陥落。多くの者が殺され、また多くの者が捕囚の身となりました。これが第二回目の捕囚(B.C.586)です。エレミヤ書52章30節によれば、二回目の捕囚から五年後(B.C.581)に第三回目の捕囚があったようです。それを記したエレミヤ書52章における捕囚の民の総数は、合わせて4,600人となっています。

●本題に戻りますが、エホヤキンがバビロンにおいて優遇措置を受けるようになったのは、バビロンの王がネブカドネツァルの息子の代になってからです。

【新改訳2017】エレミヤ書52章31~34節
31 ユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日、バビロンの王エビル・メロダクは、即位した年のうちにユダの王エホヤキンを呼び戻して、獄屋から出し、
32 優しいことばをかけ、バビロンで彼とともにいた王たちの位よりも、彼の位を高くした。
33 彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
34 彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。

●ここに、破格の優遇措置が記されています。なにゆえにエホヤキンが他の国の王たち以上の措置を与えられたのでしょうか。聖書はそれについて詳しいことを記していませんが、新しい王(ネブカドネツァルの息子=エビル・メロダク)が即位した年(B.C.562)に、王の権威を誇示するための恩赦が与えられました。その恩赦によって、エホヤキンは獄屋から釈放されたのです。他の国の王も同時に釈放されましたが、どういうわけか、エホヤキンだけが他の王の位よりも一段高くされたのです。そして一生の間、毎日、王の前で食事をしたのです。これは破格の処遇と言わざるを得ません。ここに、歴史に働く神のご計画の配剤を見ることができます。

●エホヤキンはかつてバビロンの攻撃に対して抵抗することなく簡単に投降しています。心ならずも、結果的に「バビロンの手に落ちよ」というエレミヤの勧告に従ってしまったわけです。バビロンでの新しい王の即位において、王に対する従順を他の王にまさって示したのではないかとも考えられます。そのような中で、ユダの民が優遇措置の覆いの中で「トーラー・ライフ」を回復することが出来たのではないかと考えられます。ちなみに、エホヤキンの子はぺダヤ、ペダヤの子はゼルバベル。このゼルバベルがやがてバビロンから帰還する際のユダの総督となります(ハガイ1:1)。エホヤキンからゼルバベルまでの三世代、つまりユダの民は三世代かけて神を真剣に求めることで神を見出し、神の民としてのアイデンティティを回復することができたと言えます。と同時に、エルサレムへの帰還が神によって実現するのです。エレミヤはバビロン捕囚から再びエルサレムに帰って来ることが神によって啓示されていましたが、どのような経緯でそうなるのかまでは示されていませんでした。しかし、信仰によって、エレミヤはおじの子ハナムエルから「アナトテの畑を買い取る」のです。

2.アナトテの畑を買うエレミヤ

【新改訳2017】エレミヤ書32章6~15節
6 エレミヤは言った。「私に、このような主のことばがあった。
7 『見よ。あなたのおじシャルムの子ハナムエルが、あなたのところに来て、「アナトテにある畑を買ってくれ。あなたには買い戻す権利があるのだから」と言う。』
8 すると、主のことばのとおり、おじの子ハナムエルが私のところ、監視の庭に来て、私に言った。『どうか、ベニヤミンの地のアナトテにある私の畑を買ってください。あなたには所有権もあり、買い戻す権利もありますから、あなたが買い取ってください。』私は、これが主のことばであると知った。
9 そこで私は、おじの子ハナムエルから、アナトテにある畑を買い取り、彼に銀十七シェケルを払った。
10 私は証書に署名して封印し、証人を立てて、秤で銀を量った。
11 そして、命令と規則にしたがって、封印された購入証書と封印のない証書を取り、
12 おじの子ハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、監視の庭に座しているすべてのユダの人々の前で、購入証書をマフセヤの子ネリヤの子バルクに渡し、(※「バルク」はエレミヤの口述を筆記した人物)
13 彼らの前でバルクに命じた。
14 『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち封印されたこの購入証書と、封印のない証書を取って土の器の中に入れ、これを長い間、保存せよ。
15 なぜなら──イスラエルの神、万軍の主はこう言われる──再びこの地で、家や、畑や、ぶどう畑が買われるようになるからだ。』

●エレミヤのおじの子ハナムエル(「ハナムエール」חֲנַמְאֵל)がエレミヤの監禁されている所にやって来て、「アナトテにある畑を買い取ってほしい」と頼みます。なんらかの理由で先祖からの土地を失い、買い戻す権利をもっていた近親者の一人であるエレミヤに買い取りを頼んだのです。エレミヤは正式な手続きを経て、その土地を買い戻し、購入証書が書き直されないために一つは封印したもの、もう一つは契約内容をいつでも見て確認できるための証書として作り、を造り、封印された証書とともに、土の器の中に入れて長期間保存するように、書記のバルクに渡しました。土地の買い戻しとその証書の作成は、将来、神の民が捕囚から解放されて、再びこの地に連れ戻され、土地が買われるようになるという預言を裏付ける象徴的な行為でした

●エレミヤのおじの子(つまり「従兄弟(いとこ)」)ハナムエル(「ハナムエール」חֲנַמְאֵל)という名前の中に、主のメッセージが隠されています。この名はエレミヤ書32章にしか登場しません。その意味は「神はあわれむ、あわれみの神」という意味です。あわれみは神のご計画において忘れてはならない神の熱情です。同じ意味で、エレミヤ書31章20節では「神の強いあわれみ」が吐露されています。イェシュアの「かわいそうに思う」(「スプランク二ゾマイ」σπλαγχνίζομαι)という深い同情が、この「ハナムエル」という名前に隠されています。

【新改訳2017】エレミヤ書 31章20節
エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない。──主のことば──

●「わたしは彼をあわれまずにはいられない」と訳されていますが、原文は口語訳のように「わたしは彼を必ずあわれむ」という強調表現(「ラーハム」רָחַםの不定詞+未完了)となっていますが、「ハーナム」(חָנַם)と同様に、神の不変の熱情を表す語彙です

●また、「アナトテ」はベニヤミン族の領地にあるレビ人の町の一つです。エレミヤの出身地です。実はこの「アナトテ」の地からすばらしい祭司が出ています。それはダビデ王朝の主任祭司として、ダビデの台頭とその王朝成立の立役者となった「エブヤタル(אֶבְיָתָר) (新共同訳は「アビヤタル」)は残された者の新芽の意」という人物です。ノブの祭司アヒメレクがダビデを助けたという理由で、サウルがアヒメレクの一族を虐殺した際、ただ一人難を逃れてダビデのところに身を寄せた人物がこの「エブヤタル」でした。まさに彼は「残された者の新芽」としてダビデの祭司となり、神意を伺う者となりました(Ⅰサムエル23:8~12、30:7~8)。彼はダビデをずっと支えてきた祭司でしたが、王位の継承をめぐってアドニヤを擁立しようとして失敗し、王位を継承したソロモンによって祭司職を罷免され、アナトテに追放されてしまったという経緯があります。そのようなわけで、アナトテは祭司職を継ぐ者にとっては不名誉な地の象徴でした。ところが、そのエブヤタルの過失の重荷を負った流れの中に祭司エレミヤがいるのです。ちなみに、エレミヤ(「イルメヤーフー」יִרְמְיָהוּ)の名前の意味は「主が建て上げる、再建する」という意味であり、彼の父「ヒルキヤ」(「ヒルキッヤーフー」חִלְקִיָּהוּ)は「主は相続地を分け与える」という意味です。「残された者の新芽」という意味を持つ「エブヤタル」は落ちぶれの身となりましたが、「ヒルキヤ」と「エレミヤ」という二つの名前によって、「踏み直される主のあわれみ」というメッセージが浮かび上がります。

3.「集め、帰らせ、住まわせる」というイスラエルへの帰還の約束

【新改訳2017】エレミヤ書32章36~41節
36 それゆえ今、イスラエルの神、主は、あなたがたが、「剣と飢饉と疫病により、バビロンの王の手に渡される」と言っているこの都について、こう言われる。
37 「見よ。わたしは、かつてわたしが怒りと憤りと激怒をもって彼らを散らしたすべての国々から、彼らを集めてこの場所に帰らせ、安らかに住まわせる
38 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
39 わたしは、彼らと彼らの後の子孫の幸せのために、わたしをいつも恐れるよう、彼らに一つの心と一つの道を与え、
40 わたしが彼らから離れず、彼らを幸せにするために、彼らと永遠の契約(=新しい契約)を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないように、わたしへの恐れを彼らの心に与える。
41 わたしは彼らをわたしの喜びとし、彼らを幸せにする。わたしは、真実をもって、心と思いを込めて、彼らをこの地に植える。」

●37節の「見よ」という語彙の中に、「終わりの日」のことが重層的に預言されています。その根拠は「彼らと永遠の契約を結ぶ」(40節)とあるからです。この契約は31章の「新しい契約」のことであり、御子イェシュアを仲介者として結ばれる契約だからです。

●下図のABは、神のさばきの様相とその神の動機を表していますが、Cは、そこからの神の回復の約束が記されています。これらはエレミヤの語るべき神のメッセージ、「引き抜き、引き倒し、滅ぼし、壊し、建て、また植える」(1:10)と同様、「死と復活」を含んだものです。特にCの「集め、帰らせ、住まわせる」、「カーヴァツ」(קָבַץ)、「シューヴ」(שׁוּב)、「ヤーシャヴ」(יָשַׁב)は重要です。これは、神のなされる復活のわざなのです。それを神はどのようにしてなされるのでしょうか。

画像の説明

ユダヤ人にとって、イスラエルへの移住は他国に移住するという感覚ではなく、自分の先祖たちの地に帰ること(帰還)を意味します。現在のイスラエルの人口、約950万人(2022年5月 イスラエル中央統計局。2050年までの人口予測を発表しています。) 私たちは、神がイスラエルに対する「帰還」のご計画を持っているということを理解する必要があります。

●聖書は神の前において平等である(えこひいきしない)という面と、そうではないという面とを持っています。神はアブラハム、イサク、ヤコブを選び、土地を与えると約束されました(創世記12:1, 15:7)。それは明確に「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。エジプトの川から、あの大河ユーフラテス川まで。」(創世記15:18)と定められています。一時、ソロモンの治世にそれは成就したかに見えました。しかしいまだ成就していません。「あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。・・・そこから出てくる。」(同、13~14節)という約束は実現しました。これは出エジプトの出来事で、神のご計画の「型」です。その型は、バビロン捕囚とそこからの帰還で繰り替えされました。そのように神の約束は「型」から「本体」へと実現するのです。その本体とは「メシア王国」です。ただしそれは歴史の中でのことであって、真の本体は「聖なる都、新しいエルサレム」です。これは天において「整えられている」(すでに用意されている/「ヘトイマゾー」ἑτοιμάζωの完了受動態分詞)のです。

●神の民イスラエルは神に逆らったことで、バビロンに捕囚されます。その期間は七十年と限られたものですから、ユダヤ人はこのときに「地の果てまで散らされた」のではありません。バビロンは東にあります。しかし最後の「出エジプト」は、「北の地から」(「メーエレツ・ツァーフォーン」מֵאֶרֶץ צָפוֹן)なのです。つまりそれは旧ソ連(現在のロシア)のことです。ユダヤ人が現在どの国に居住しているかを調べると、2021年で、ユダヤ人総人口1,517万人のうちイスラエルに687.1万人、米国に600万人と合わせて、85%はこの二国に集中していることが分かります。しかし聖書では、「北の地から」という表現が目立ちます。エレミヤ書でも然りです。

①【新改訳2017】エレミヤ書3章18節
その日、ユダの家はイスラエルの家に加わり、彼らはともどもに、北の国から、わたしが彼らの先祖に受け継がせた地に帰って来る
※「北の国から」=「メーエレツ・ツァ―フォーン」(מֵאֶרֶץ צָפֹון)

②【新改訳2017】エレミヤ書16章15節
ただ『イスラエルの子らを、北の地から、彼らが散らされたすべての地方から上らせた(עָלָה)主は生きておられる』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。
※「北の地から」=「メーエレツ・ツァ-フォーン」(מֵאֶרֶץ צָפֹון)

③【新改訳2017】エレミヤ書23章3、7~8節
3 しかしわたしは、わたしの群れの残りの者を(שְׁאֵרִית)、わたしが追い散らしたすべての地から集め(קָבַץ)、元の牧場に帰らせる(שׁוּב)。彼らは多くの子を生んで増える。
7 それゆえ、見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、もはや人々は『イスラエルの子らをエジプトの地から上らせた主は生きておられる』と言うことはなく、
8 『イスラエルの家の末裔(まつえい)を、北の地や、彼らが散らされていたすべての地から上らせた(עָלָה)主は、生きておられる』と言って、自分たちの土地に住むようになる(יָשַׁב)。」
※「北の地」=「メーエレツ・ツァーフォ―ナー」(מֵאֶרֶץ צָפֹונָה)=「北の方に」の意。

④【新改訳2017】エレミヤ書 31章8節
見よ。わたしは彼ら(=エフライム)を北の国から連れ出し、地の果てから彼らを集める。その中には、目の見えない者も足の萎えた者も、身ごもった女も臨月を迎えた女も、ともにいる。彼らは大集団をなして、ここに帰る。
※「北の国から」=「メーエレツ・ツァ―フォーン」(מֵאֶרֶץ צָפֹון)。「エフライム」は北イスラエルで最も大きな部族であり、北イスラエルを代表しています。

●彼らはどうして「北の地」「北の国」へ行ったのでしょうか。それは、ローマの総督ピラトがイェシュアを十字架にかけるため、ローマ兵士に引き渡す際に、祭司長や長老たちが群衆を扇動したとき、彼らは「その人の血は私たちや私たちの子どもらの上に」(マタイ27:25)と答えたためです。B.C.70年にローマ皇帝ティトゥスがエルサレムを略奪して、ユダヤ人を世界離散させました。つまり彼を通して神ご自身がユダヤ人の土地を取り上げたのです。しかし彼らに土地を与えるという神の約束は変わってはいません。1948年にイスラエルが国として復興したのです。幾多の戦争を経ながらも、多くのユダヤ人がそこに帰還して現在に至っています。このように、神は懲らしめの時さえも捨て置かず、神の選びの民としてこれからも捨て去ることがないのです。いわば、神がいかなる方かを示すために彼らは特別に選ばれているのです。

【新改訳2017】エレミヤ書31章3~4節
3 主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた。
4 おとめイスラエルよ。再びわたしはあなたを建て直し、あなたは建て直される。再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び踊る者たちの輪に入る。

●この預言は「イスラエルの残りの者」に対するもので、いまだ成就されていません。31章36節では「もしも、これらの掟(太陽も月も輝くことを止めていない)がわたしの前から去ることがあるなら─主のことば─イスラエルの子孫は絶えて、わたしの前にいつまでも一つの民であることはできない」と記されています。つまり、イスラエルに対する神のご計画は不変の真理だということです。

ベアハリート

●最後に、イスラエルにおける最初の「帰還者」の型がヤコブにあることを知っておくべきです。

①【新改訳2017】創世記 35章1節
神はヤコブに仰せられた。「立って(קוּם)、ベテルに上り(עָלָה)、そこに(שָׁם)住みなさい(יָשַׁב)。そしてそこに(שָׁם)、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
※「祭壇を築く」のは、「全焼のささげ物」(「オーラー」עֹלָה)を「献げる」(「アーラー」עָלָה)ためです。

②【新改訳2017】エレミヤ書16章16節
見よ。わたしは多くの漁夫を遣わして──主のことば──彼らを捕まえさせる(「すなどらせる」דִּיג)。それから、わたしは多くの狩人を遣わして、あらゆる山、あらゆる丘、岩の割れ目から彼らを捕らえさせる(「かり出させる」צוּד)。

●漁夫によって「捕まえさせる」というのは、主に遣わされた者たちの働きによってユダヤ人をすなどらせ、イスラエルに帰還させるということです。さらにそのあとに遣わされる「狩人」によって彼らを「捕らえさせる」とあり、彼らに対する迫害が来ることも記されています。それゆえ神は、今「漁夫」となる団体(ユダヤ人たちの祖国への帰還を助けるミニストリー=エべネゼル緊急基金)を遣わして、「北の国」にいるユダヤ人を探し出しておられるのです。彼らの務めはユダヤ人をクリスチャンにすることではなく、ただ彼らをユダヤ人としてイスラエルに帰還させるという働きに従事しています。この働きは主のあわれみです。

帰還者」は「アーラー」(עָלָה)の名詞「オーリーム」(עֹלִים)です。通称「オリム(たち)」と呼ばれます。ユダヤ人がイスラエルに帰還することは、エレミヤ書だけでなく、多くの預言書の中に記されています。「北の国からイスラエルへ」ではなく、ドイツへ移住するユダヤ人も多くいるようです。なぜならドイツは彼らを移民として受け入れる優遇措置を設けていて、豊かな社会制度もあるからです。しかしそれは神のみこころではありません。獣と呼ばれる反キリストはヨーロッパから立ち上がってくるからです。「イスラエルに帰還すること」、これが神のみこころです。これはイスラエルに対する神のあわれみのご計画です。「イスラエルの残りの者」に対してではなく、「ユダヤ人」に対して現在なされている神のご計画なのです。私たちはこのことをどれほど知っているでしょうか。

三一の神の霊は私たちの霊とともにあります。

2023.12.10
a:329 t:5 y:5

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