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まことに、あなたは・・(3)

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98. まことに、あなたは・・(3)

【聖書箇所】 詩篇86篇17節後半

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【読み】
ー アッー アドーイ アザルター ヴェニハムーニー

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
まことに【主】よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。
【口語訳】
主よ、あなたはわたしを助け、わたしを慰められたからです。
【新共同訳】
主よ、あなたは必ずわたしを助け/力づけてくださいます。
【NKJV】
Because You, Lord, have helped me and comforted me.
【NIV】
for you, O LORD, have helped me and comforted me.

【瞑想】

ここでは「あなたは私を慰めた」というフレーズに注目します。「あなた」が強調されています。その「あなた」である「主」がどうのような方であるのかを作者は告白しています。

「慰めた」と訳された動詞は「ナーハム」(נָחַם)です。旧約では108回、詩篇では12回使われています。「慰めた」と訳された動詞の「ナーハム」(נָחַם)は基本形では使われません。ニファル(受動)態で用いられると「悲しむ、憐れむ、思い直す、恨みを晴らす」という意味になりますが、ピエル(強意・能動)態で用いられると「慰める」という意味になります。詩篇86篇17節ではピエル態で使われています。

この動詞が使われているところには、ある苦しい状況の中に置かれているということが考えられます。「慰めよ、慰めよ」(イザヤ書40章1節)と神が預言者イザヤに語らせたことばは、神とのかかわりをリセットすべくバビロンに捕え移された者たちに向かって語られた回復のメッセージの冒頭のことばです。「慰める」という言葉は決してセンチメンタルな言葉ではありません。苦しみの中にあってもそこを避けることなく、まっすぐに貫かせ、歩ませ、力づけ、励ますことを意味する、いわば父性的な訓練と関連する恩寵用語です。詩篇23篇4節の「あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰め」という告白がその証拠です。ちなみに、「慰め」を岩波訳では「励ます」、関根訳では「勇気を与える」と訳しています。

新約で「ナーハム」(נָחַם)に対応するギリシャ語は「パラカレオー」(παρακαλεω)ですが、やはり苦難の中にある神の慰めを意味しています。ヘブル書の著者は12章5~7節に「あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧め(παρακαλεω)を忘れています。『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子にむちを加えられるからである。』・・神があなたがたを子として扱っておられるのです」とあります。自分が子として扱われているという恩寵に気づく時、主の懲らしめは励ましとなり、慰めとなり、苦しみの中を貫かせる力となります。これが「ナーハム」(נָחַם)であり、「パラカレオー」(παρακαλεω)なのです。

使徒パウロはコリント人への手紙第二で、「慰め」ということばを実に多く使っています。「気落ちした者を慰めてくださる神」を経験したパウロは、「神はどのように苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(Ⅱコリント1:4, 5)と述べています。神の慰めは苦難のあるところに溢れるのです。

創世記50章19~21節に、ヨセフが兄弟たちに対して語ったことばが記されています。「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。・・ですから、もう恐れることはありません。私は、あなたがたや、あなたがたの子どもたちを養いましょう。」と言って、ヨセフは彼らを慰め(ナーハム)、優しく語りかけました。悲しみをもたらしたことを赦すことで、相手に慰めと希望をもたらしました。つまり「慰める」とは、兄たちの罪を赦し、彼らの心を自由にして立ち上がらせるという意味なのです。それは新約のギリシャ語「パラカレオー」にも当てはまるのです。すなわち、それは人をして神に立ち帰らせていく言葉でもあるのです。


最後にもう一つ、この節で触れて置かなければならないことがあります。それは「まことに【主】よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。」というフレーズにある「助ける」(アーザル)と「慰める」(ナーハム)は、実は、同義語であるということです。「慰める」(ナーハム)のギリシャ語は「パラカレオー」です。「パラ」は前置詞で「~のそばに」という意味で、それに「呼ぶ、呼ばれる」という動詞「カレオー」が結びついています。このことばが名詞になると「パラクレーシス」(慰め)「パラクレートス」(助け主)となります。別名、「聖霊」「御霊」とも言われます。その方は目には見えませんが、常に私たちに寄り添い、私たちを励まし勇気づけて、神とのかかわりを建て上げることを助けてくださる方なのです。その意味では、詩篇86篇17節の「まことに【主】よ。あなたは私を助け、私を慰めてくださいます。」という告白は預言的告白とも言えるのです。


2013.5.25


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