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イスカリオテのユダの裏切りの予告

3. イスカリオテのユダの裏切りの予告

聖書箇所 ヨハネ13:21~30

【新改訳改訂第3版】
13:2
夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、

13:27
彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼に入った。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」

13:30
ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。


1. イスカリオテのユダの裏切りを促されたイエスの言動

  • ヨハネの福音書においてはそのプロローグから「闇の力」の存在が提示され、イエスの受難のテーマを響かせています。具体的には、闇が光に勝とうと試み(1:5)、御子イエスが「ご自分の民に」拒絶されること(1:11)が予告されています。イエスの反対者たちは、5章以降から強烈な敵意をむき出しにしています。ユダヤ人指導者たちの敵意の裏にひそんでいるのはサタンの存在です。そして、その力はイスカリオテのユダの裏切りにおいて最高潮に達します。
  • イエスの受難としての死は、この世の罪を贖う神の愛を現わすという御父から与えられた使命の究極的表現であり、それは同時に、神の栄光をこの世に示す最も効果的な最後の「しるし」となります。そうした流れの中に、イスカリオテのユダの裏切りが位置づけられています。イスカリオテのユダの存在はイエスの敵対者たちの思いを遂げる上できわめて好都合な存在(キーパーソン)だったと言えます。
  • しかし、彼らの策略がイエスを受難に追いやったのではありません。ヨハネの13:27には次のように記されています。
    「彼がパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼の中にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。『あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。』」と。
    これは、すべてを知っておられたイエスが御父のみこころを実現させるために、イエスの方からイスカリオテのユダにひと切れのパンを分け与えることで、ユダの裏切りをいわば先導させたかたちです。つまり、イエスの受難と死はサタンの先取的策略によってもたらされたものではなく、イエス自身が自らの意志でそれを引き受けられたことが分かります。そして、そのことはイスカリオテのユダも他の弟子たちも知りませんでした。ですから、「ユダは、パン切れを受け取るとすぐ、外に出て行った。」(13:30)のです。
  • ユダの中に入ったサタンでさえも、被造物の中で最も賢く狡猾な存在でありながら、自分の巧みな策略が逆に神の計画を実現させてしまうとは夢にも思っていなかったのです。高慢なサタンが神の知恵によって欺かれたことに気づいた時には「時すでに遅し」、サタンは地団太踏んで悔しがったに違いありません。
  • このようにして、神は「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする」(イザヤ29:14のLXX訳)という預言を見事に実現されました。ああ、神の知恵は何と底知れず深いことか。この神が私の神であられることはなんとすばらしいことか。感謝と賛美を神にささげます。

2. 私たちの思いを、神のみことばによって一新する

(1) 思考によってあらゆる行動が生まれる

  • ジョイス・マイヤーの『思考という名の戦場』(田村恵子訳、サムソン・パプリケーション、2007)という本があります。その中で著者は「人は、心の中で考える通りの人間となる」と述べています。少し、本文から引用してみます。

    「つまり、思考によってあらゆる行動が生まれるのです。そういう意味では、思考は行動に先んじるものであると言えます。ローマ人への手紙8章5節のみことばが、このことを明らかにしています。というのは、肉に従い、汚れた欲望に支配される者は、肉を喜ばせるものに心(マインド)を向け、それをひたすらに追い求めますが、御霊に従い、聖霊の願いに支配される者は、〔聖なる〕御霊を喜ばせるものに心(マインド)を向け、その成就を追い求めるのです。私たちの行動は、私たちが心の中で考えたことの直接的な現われなのです。」(11頁)

  • イスカリオテのユダにおいてもこのことがはっきりと適応します。13:2には「悪魔はすでにイスカリオテ・ユダの心にイエスを売ろうとする思いを入れていた」とあります。そしてユダがイエスからパン切れを受け取ったそのとき、サタンが彼にはいったのです(13:27)。「そして、彼はイエスを売り渡すために外に出て」いきました(13:30)。
  • ここには一連のプロセスがあります。サタンはまず人の心の中に神のみこころから外れるような「思い」を入れるということです。最初の段階は「思い」だけを入れるのです。そしてその「思い」を人が拒絶することなく、むしろ自分の意志をもって同意し、受け入れた段階で「サタンが入る」のです。ここで「入る」と訳されていることばは普通に「入る」ということばです。しかしその意味するところは、サタンがその人の心を完全に支配するということだと思います。蛇がアダムとエバした方法と同じです。きわめて合法的です。というのも人の同意を得ているからです。
  • 私たちはだれでも、例外なく、神のみこころとは異なる思いをサタンによって入れられています。それに気づくのは、普段から神のことばを聞いている者だけです。サタンは「偽りの父」であり、嘘つきです。サタンの巧妙な策略は私たちの「思い」に働きかけます。しかも、急がず、あわてず、ゆっくりと慎重に罠を仕掛けてきます。そしてひとつの要塞を私たちの心の中に築きます。この要塞を打ち砕く力はすでにキリストにあって与えられているのですが、自分の心の中に築かれた要塞の存在にはなかなか気づかないものです。この「思いの要塞」は生育史において長い期間かけて形成されるため、人ぞれぞの性格とか思考の癖(パターン)とも受け取られています。ですから、自分の「思い」のうちに、サタンの足場となるべく要塞が作られているとはなかなか気づきません。そこがサタンの巧妙さといえます。私たちの心の中にあるものと神の心の中にあるものを区別できるためには、神のことばを忍耐深く学ばなければなりません。

(2) 思考はまさに戦いの場

  • サタンは誰に対しても間違った思いや考えを持つように働きかけます。しかし私たちはそれを拒否することができます。イスカリオテのユダの場合は裏切りの思いを拒むことなく、同意して受け入れてしまったので、サタンが彼の心を支配してしまったのです。この段階までくるともう後へは戻れなくなります。神に愛された者として、私たちは自分の思いと神の思いを一致させることが重要ですが、先ずは、思考がまさに戦いの場であるということを正しく理解しなければなりません。
  • イスカリオテのユダの失敗を生きた教訓として自分の心に刻もうと思います。サタンが私たちの心に仕掛けてくる疑いや恐れ、否定的な思いなどは、やがて私たちの抵抗力を腐食させ、敵の攻撃に対して無力な存在へとおとしめられます。それゆえ、思考という戦場において、敵に打ち勝つ術を学び続ける者でありたいと思います。敵との戦いは常に休みのない現実なのですから。

2011.3.14


付記 「イスカリオテのユダの裏の予告に対するイエスの心情について


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