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エジプトに対するさばきの預言(1)

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29. エジプトに対するさばきの預言 (1)

【聖書箇所】 29章1節~30章26節

 ベレーシート 

  • エゼキエル書はエジプトに対するさばきの預言として7つの預言を記しています。
    以下がそれです。
    画像の説明
  • 今回は、No.1~4までを扱います。No.1とNo.4との差はわずか3ヶ月弱です。

1. 「大きなワニ」であるエジプトのパロ

  • 29章3節にエジプトのパロは自分のことを「自分の川の中に横たわるワニ」とし、「川は私のもの。私がこれを造った。」と言っていました。「川」とは、エジプトの繁栄の支えとなるナイル川のことで、「わに」はその川に住む「竜」のことです(イザヤ27:1/51:9、アモス9:3)。原語は「タンニーン」תַּנִּיןで旧約聖書では14回使われています。日本語聖書では「海の巨獣」「海の獣」「竜」「龍」「わに」と訳されています。LXXでは「ドラコーン」δράκωνと訳しています。新約聖書で「ドラコーン」はヨハネの黙示録にのみ使われている語彙です(13回)。竜、大蛇、悪魔でありサタンの化身です。英語では「ドラゴン」(dragon)です。ちなみに、「海にいる蛇、竜」を「レビヤタン」(לִוְיָתָן)とも言います。
  • エジプトの王は、自分自身をナイル川の創造者と考えていました。そしてエジプトの繁栄の源であるとしました。それが「川は私のもの。私がこれを造った。」という意味です。この傲慢こそ神に罰せられ、裁かれる要因でした。

2. 「折れた葦の杖」にたとえられたエジプト

  • 6~7節にはエジプトが「折れやすい葦の杖」にたとえられています。エジプトが沼地に生え茂る葦にたとえられています。しかし実際、葦は杖にするには弱すぎます。そのことから、エジプトは一見力強い支えのように見えたとしても、必要な時にはまったく役立たないことを意味しています。アッシリヤの王ラブ・シャケがエルサレムを包囲した折に、ユダの王ゼデキヤに言いました。「今、おまえはだれにより頼んで私に反逆するのか。今、おまえは、あのいたんだ葦の杖、エジプトにより頼んでいるが、これは寄りかかる者の手を刺し通すだけだ。」(Ⅱ列王記17:21)と述べています。
  • ナイル川の丈の高い葦の茎の下の方には剣のような形の葉がついているようです。もしその茎が折れると、それをつかんでいた人の肩を傷つけます。同様に、エジプトを信頼することは信頼した者に害を引き起こすことをエゼキエルは語っています。

3. やがて廃墟となり、回復されるが、弱体化する運命のエジプト

  • エゼキエル書29章8~16節には、40年の間エジプト人が諸国の中に散らされ、その間にエジプトの地は荒廃し、誰も住まなくなるという預言と同時に、その40年の終わりになって主がエジプト人を散らされた国々の民の中から集めるという回復の預言もなされています。しかしたとえ回復したとしても、それは「取るに足りない王国」となり、「二度と諸国の民の上にぬきんでることはなく」、規模の小さな地位の低い国となり、他のどんな国の上にも立てなくなるとあります。このことによって、神の民イスラエルがもう二度とエジプトを信頼するという過ちに落ちることがないようにするためです。
  • 傲慢さを象徴する「わに」、同盟を結んでもいざという時に全く頼りにならずむしろ害を与える「折れた葦の茎」にたとえられたエジプトに対して、主は立ち向かい、エジプトの傲慢さを罰せられます。その罰を与える道具して用いられるのが、バビロンの王ネブカデネザルです。彼によって主はエジプトの富を取り除かれるのです(30:10)。別の視点から見るなら、バビロンがエジプトを得るのは、主がその道具として用いたバビロン軍に対する「報い」であるとあります(エゼ29:19)。なぜなら、13年間におよぶ「ツロ」との戦いにおいて、バビロン軍の報いは何も得られなかったからです。
  • 最後に、29章21節に注目したいと思います。

    【新改訳改訂第3版】
    その日、わたしはイスラエルの家のために、一つの角を生えさせ、彼らの間であなたに口を開かせる。このとき彼らは、わたしが【主】であることを知ろう。

  • ここにある「一つの角」(「角」は力を表わします)」とは、バビロンの王ネブカデレザルだと考えるのが自然です。なぜなら、彼によってエジプトは打たれることで「あなたに口を開かせる」からです。「あなた」とはエゼキエルのことです。つまり、ネブカデネザルよるエジプト征服の知らせは、バビロンで捕囚となっているユダの人々に、エゼキエルの語ることが真実であったことを悟らせると同時に、将来の預言を受け入れさせることになるということを意味しています。

2013.6.21


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