ビルダデのヨブに対する反論(2)
13. ビルダデのヨブに対する反論(2)
【聖書箇所】18章1節~21節
ベレーシート
- ヨブが16~17章で語ったことに対するビルダデの対論です。ビルダデにとっては第二回目の対論となります。ビルダデはヨブのことを「怒って自分自身を引き裂く者」と表現しています。つまり、ヨブのことを感情的になっていると非難しているのですが、まず、ビルダデがヨブに対して語った最初のことば(18章2節)に注目してみたいと思います。
1. ことばの罠の掛け合い
- 18章2節をいろいろな翻訳で読み、また原語を調べてみると、とても面白い表現なのです。まず、諸訳を並べてみます。
【新改訳改訂3】
いつ、あなたがたはその話にけりをつけるのか。
まず悟れ。それから私たちは語り合おう。
【口語訳】
あなたはいつまで言葉にわなを設けるのか。
あなたはまず悟るがよい、/それからわれわれは論じよう。
【新共同訳】
いつまで言葉の罠の掛け合いをしているのか。
まず理解せよ、それから話し合おうではないか。
【中澤訳】
いつまでも君(たち)は言葉に罠をしかけるのか。
素直になれ、その上でわれわれは語ろう。
【関根訳】
いつまで君たちは遠慮してもの言うか。
良く考えて、その後でわれわれは語ろう。
【バルバロ訳】
いつまでそんな話を続けるのか。
正気になれ。そうすればわれらも話そう。
- 上記の訳で注目したい点は、「けりをつける」(新改訳)という訳と、「わなを設ける、罠をしかける」(口語訳、中澤訳)、「罠の掛け合いをしている」(新共同訳)です。原語の「ケーネツ」(קֵנֶץ)は、この箇所にのみ使われていることばで、「終わり(けり)」「わな(罠)」と訳されています。この「終わり(けり)」と「わな(罠)」という意味がどうしてつながるのでしょうか。それを知るためには、この語彙の親語根を調べ、そこから派生している周辺の語彙を調べることで、その語の持つイメージが見えてきます。
- 「ケーネツ」(קֵנֶץ)は親語根קץから派生する語彙です。他の語彙の意味を挙げてみると以下のようになります。
(1) 動詞の「クーツ」(קוּץ)は「嫌う」。
(2) 動詞の「カーツァツ」(קָצַץ)は「切り離す」。
(3) 動詞の「キーツ」(קִיץ)は「夏を過ごす」。
※一見、他の語彙とは異質に見えますが、ユダヤ暦では夏の終りに新年が来ることで、夏を過ごすことは一年の端(終り)になるのです。
(4) 動詞の「カーツァー」(קָצָה)は「切り離す」。
(5) 名詞(男)の「カーツェー」(קָצֶה)は「端、果て、終り」。
(6) 名詞(女)の「カーツァー」(קָצָה)は「端、果て、終り」。
(7) 名詞(男)の「ケーツ」(קֵץ)は「終り、果て」。
(8) 名詞(男)「コーツ」(קוֹץ)は「とげ、いばら」
(9) 形容詞の「キーツォーン」(קִיצוֹן)、あるいは「キーツォーナー」(קִיצוֹנָה)は「一番外側の、端に当たる」を意味します。
- これらの語彙からイメージされるのは、弁論や対論というものは、本来、嫌われ、いやがられるものです。十分に話し合うというよりは、より早い所で相手を言い負かして、自分の主張するところで決着をつけたい、そんな誘惑にかられるものです。早く「けりをつける」、早く「終りにする」ために、「とげ」のある語気や口調でことばの罠の掛け合いを図ります。ヨブの対論がビルダデにはそのように感じられたのだと思います。とは言っても、ビルダデが18章で述べている口調はかなり辛辣で、彼自身がことばの罠を仕掛けているのです。
2. 対論の前提
- 語り合い、論じるためには、「自分が罪人であることを認めることが前提である」ということを、ビルダデはヨブに一方的に押し付けます。そのことを示すことばが「まず悟れ」(「ビーン」בִּין)という要求です。「まず悟るが良い」(口語訳)、「まず理解せよ」(新共同訳)、「よく考えて」(関根訳)、「素直になれ」(中澤訳)、「正気になれ」(バルバロ訳)、とそれぞれ訳されています。
3. 悪人は必ず自滅するというビルダデの神学
- 知恵文学の詩篇や箴言、また歴史書では、「悪人たち」(「レシャーイーム」רְשָׁעִים)は、たとえ一時、繁栄を誇り、力を持ち、脂ぎっていたとしても、やがて必ず自滅するという神学があります。それが大前提なのです。しかし「ヨブ記」のヨブの場合は、そうした神学には当てはまらないのです。なぜなら、ヨブは神の目から見ても潔白であり、悪人ではないからです。ヨブの友人たちはそのことが分からないのです。皮肉にも、「まず悟るがよい」ということばは、そのままそっくり、このことばを語ったビルダデに必要なのです。
2014.6.13
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