ヘブル語の文体的特徴である「接続詞」の多用さ
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ヘブル語の文体的特徴である「接続詞」の多用さ
- ヘブル語の文体の特徴の一つとして、「接続詞」の多用さがあります。たとえば、創世記1章2~5節をそのまま訳すならば以下のようになります。
「(そして)地は混沌であった。(そして)闇が深淵の面にあった。(すると)光があった。(そして)神はその光を見てよしとされた。り、(また)神の霊が水の面を動いていた。(そして)神は言われた。「光あれ」、(すると)光があった。(そして)神は光と闇を分けた。(そして)神はその光を昼と呼び、(また)闇を夜と呼んだ。(そして)夕があり、(そして)朝があった。」
- 「そして」、「すると」、「また」・・これらの訳語は異なっても原文ではみな同じ接続詞「ヴェ」です。これがヘブル語文体の特徴です。このように、「接続詞」が繰り返し繰り返し現れるような文章構造をギリシア語ではもっていません。この「そして」の連続用法は気を散らすもので、時にはいらいらさせられます。ところがヘブル語では接続詞「ヴェ」で結ぶのが際立った特徴となっています。
- 新約聖書においては、特にイエスの語られたことばが記されている福音書においてはヘブル的視点から見直して解釈する必要があるのです。なぜならイエスはユダヤ人であるからです。そしてヘブル語で語っているからです。
- たとえば、一つの例として、ルカの福音書15章20節だけを取り上げてみます。有名な「放蕩息子」のたとえ話の中の1節です。そこには、なんと五つの接続詞が使われています。
「(そこで)、彼は立ち上がって自分の父のところに来ました。(しかし)、彼がまだずっと離れた遠くにいるのに、彼の父は彼を見て、(そして)深くあわれみ、(そして)走って、彼の首に抱きつき、(そして)彼に何度も口づけした。」
- このように、イエスの語られたことばや話の中に、ギリシア語の接続詞が多く見られるならば、それはヘブル的文書から由来したものだと言えるのです。
- ちなみに、ヘブル本文にある過剰な数の接続詞をそのまま訳しているのは、King James Version (KJV)です。
2012.4.12
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