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ユダ国の存亡の危機における主への信頼

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44. ユダ国の存亡の危機における主への信頼

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 20章1節~37節

ベレーシート

  • この章は、しばしば宣教大会の決起大会などで「この戦いは主の戦いである」というメッセージで取り上げられる箇所です。しかし、このフレーズは国家存亡の危機のただ中で語られたものであり、主こそ生存と防衛を保障する方である事を信頼するか否かの霊的戦いとして語られています。

1. ユダに降りかかった危機的状況

画像の説明
  • ヨシャパテの治世において、モアブ人、アモン人、そしてセイル山の人々の連合軍がユダのヨシャパテと戦おうと攻めて来ました。モアブ人もアモン人もともにアブラハムの甥ロトの子孫で、イスラエルの民と血縁関係にあります。その彼らが攻めて来たのです。聖書はその状況を「おびただしい大軍」(2節、12節、15節)という表現で表わしています。まさに国家存亡の危機です。この危機をもたらした原因は、ヨシャパテが北イスラエル王アハブと縁を結んだことによる神の怒りであることを匂わせます(19:2)。しかも、その連合軍はすでに死海の西沿岸にある「エン・ゲディ」に集結していたのです。その「おびただしさ」は、戦いに勝利した後の分捕りに「三日もかかった」と記されているほどです(20:25)。

(1) ユダ全国に断食を布告したヨシャパテ

  • この危機において、ヨシャパテは「私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力がない」と判断し、民たちに「断食」を呼びかけました。「断食」とは罪を悔い改めて、主への信頼を明確にすることです。この呼びかけに対して、ユダのすべての町の人々がエルサレムに集まりました。そこには幼子たち、妻たち、子どもたちも共にいたとあります(20:13)。つまり、ユダ中の人々が一つ所に集まり、主の助けを求めたのです。主を求めた(「ダーラシュ」דָּרַשׁ)ヨシャパテ王、そして、主の助けを求めた(「バーカシュ」בָּקַשׁ)ユダの人々。この二つの主を求める動詞は重要です。
  • ヨシャパテの祈りは自分たちの無力さを訴えつつ、主を信頼して、主のみに目を注ごうとしています。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌20章12節
「私たちの神よ。あなたは彼らをさばいてくださらないのですか。私たちに立ち向かって来たこのおびただしい大軍に当たる力は、私たちにはありません。私たちとしては、どうすればよいかわかりません。ただ、あなたに私たちの目を注ぐのみです。」


●「どうすればよいかわかりません。」。まさに「全くなすすべなしの状況」です。このような状況に追い込まれることは、ある意味において、神の主権的な力と支配を体験する最良の機会でもあります。自分にとって神がどのような神であるかを知るときです。果たして、自分の信じている神が、生存と防衛を保障してくださる方であるのかどうか、その信仰が試されるのです。信仰の試練は、完全な者となるために不可欠な知恵を得るための訓練であり、必修科目なのです。

(2) ヤハジエルの預言

  • 断食して、主に祈り求めたとき、主の霊がアサフ族のひとり、ヤハジエルの上に臨みました。「ヤハジエル」の名前は「ハーザー」(חָזָה)と「エール」(אֵל)で「神を見る」という意味。この「ヤハジエル」が「主はあなたがたにこう仰せられる」と預言します。彼は、「あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではない、神の戦いであるから。あす、彼らのところに攻め下れ。・・・この戦いではあなたがたが戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。・・主の救いを見よ。・・」と語りました。
  • かつて、イスラエルの民が紅海で宿営していたとき、エジプト軍が追跡してきて、四面楚歌の状況に陥りました。そのとき、モーセは民に「恐れてはいけない。しつかり立って、きょう、あなたがたのために行なわれる主の救いを見なさい。」・・主があなたがたのために戦われる、あなたがたは黙っていなければならない。」と言ったことばとよく似ています。つまり、大勝利の預言です。
  • 危機的な状況の中で何もせず、ただ黙っているということは主への信頼と同義です。人間の多くは恐れに耐えることが出来ず、自分でなんとかしようととします。しかし神の民は、しばしば危機の中で、主の信頼を試されるのです。だれが国を守るのか、だれが自分たちのいのちを支えてくれるのか、果たして、神は自分たちの生存と防衛を保障してくれるのかどうか、その信仰的テストは常に繰り返されるのです。

(3) 神の不思議な戦術

  • 主は、預言した通り、大勝利を実現されますが、その戦術は常に奇抜で、不可思議です。Ⅱ歴代誌20章では「伏兵を設けて」とあります。ヨシュアもまた士師たちも「伏兵」の戦術を用いましたが、ここでは主御自身が「伏兵を設けて」敵を攪乱させ、自滅させています。しかも「伏兵」がだれであったかは聖書に記されていません。

2. 主への賛美という霊的な武器

  • 戦いにおいて、直接的な行為をすることがないように主は語りました。しかし、ヨシャパテは語られた主の前にひれ伏して礼拝をすると、レビ人たちは立ち上って主を賛美したのです。そして出陣するとき、ヨシャパテはインスピレーションを与えられて、民と相談し、武装した者たちの前に、主に向かって歌う聖歌隊を結成して彼らに歌わせました。

画像の説明

  • 敵に対する具体的な対応ができずとも、主を賛美することは、信仰の戦い、霊的な戦いにおいて、大きな武器となり得るのです。
    このときに歌われた賛美は「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」(21節)でした。

3. ヨシャパテの唯一の失策

  • ヨシャパテの治世は、神こそ唯一の王であり、支配者であるというイスラエルの王制理念の模範的王として評価されています。王自らだけでなく、ユダの民にも主を求めさせました。その結果、国家存亡の危機から救われました。しかしそうしたヨシャパテの治世において、唯一の失策が記されています(20:35〜37)。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌20章35〜37節
35 その後、ユダの王ヨシャパテは、悪事を行ったイスラエルの王アハズヤと同盟を結んだ
36 彼はタルシシュへ行くための船団をつくるためにこの王と結んだ。彼らはエツヨン・ゲベルで船団をつくった。
37 そのとき、マレシャの出のドダワの子エリエゼルがヨシャパテに向かって預言し、こう言った。「あなたがアハズヤと同盟を結んだので、【主】はあなたの造ったものを打ちこわされました。」そうこうするうちに、船は難破し、タルシシュへそのまま行くことができなかった。


  • 20章35〜37節には、19章2〜3節にもあったように「つり合わぬくびきを負う」ことに対する主のみこころが明確に示されています。その特徴的な語彙は「同盟を結んだ」と訳される「ハーヴァル」(חָבַר)です。ヨシャパテは北イスラエルの王アハブのみならず、その息子のアハズヤとも同盟関係を結んで、両国の経済的繁栄のためにタルシシュへ行くための船団をつくろうとしました。しかし、主は預言者エリエゼルを通して、「あなたがアハズヤと同盟を結んだので、【主】はあなたの造ったものを打ちこわされました。」と語られ、そうこうするうちに、船は難破し、タルシシュへそのまま行くことができなかったとあります。
  • 「ハーヴァル」(חָבַר)は「ひとつになる、同盟を結ぶ、結合する」という意味ですが、神の世界の「一つにする」を意味する「エハーッド」(אֶחָד)とは異なります。共通の目的のために協力することは良いことだとする考えがヨシャパテのうちにあったのだと思われます。しかしそれがどんな結果をもたらすかまでは考えられなかったのだと思われます。その意味で、私たちは、主を恐れつつ、聖書からの知恵を求め続けなければなりません。


2014.3.29


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