****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

レビ記の瞑想を始めるに当たって

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レビ記は、「キリストの十字架の血による贖いの神秘」を学ぶ最高のテキストです。

0. レビ記の瞑想を始めるに当たって

1. レビ記の書名について

  • 「レビ記」という書名は、そもそも七十人訳聖書が「レビたちの書」としたことに由来しています。しかしヘブル語聖書では「ヴァイクラー」(וַיִּקְרָה)と呼ばれます。正確には「そして彼(主)は呼んだ」という意味です。レビ記には、幕屋に仕えるレビ人たちではなく、同じレビ族である祭司たちについての規定が詳細に記されています。祭司とレビ人では主の前では働きにおいて格が異なるのです。

2. レビ記の主題

  • レビ記は、その幕屋に内住される神による「神の民の聖別」を主題としています。つまり、神に贖われた民が、いかにして神の民としてふさわしい存在となるべきかを規定しています。具体的には、聖なる神に近づき、交わり、神に受け入れられる礼拝をするための手段と、神の民がその日常生活において、聖なるものと汚れたものとを峻別して歩む生き方が規定されています。
  • 神の聖(Holiness)とは、すべての領域において、神がこの世から完全に区別された、隔絶された、切り離された方であることを意味しています。したがって、神のきよさにあづかるとは、神の目的のために、この世の一切の価値観から完全に切り離されることを意味しています。そのことを教えるために、レビ記は神がモーセを会見の天幕に呼び寄せて一方的に語っている記録なのです。

3. レビ記における「犠牲のいけにえ」の意義

  • 鍋谷堯爾氏は「信徒のための聖書講解―レビ記」(聖文舎)の中で、「犠牲のいけにえ」について、以下のように簡潔に記しています。

(1) 犠牲のいけにえは、神へのそなえものである。
(2) 犠牲のいけにえは、それによって神が近づいてくださる手段である。
(3) 犠牲のいけにえによって、交わりが確立される。


4. 神に近づく五つのささげもの

  • 人が幕屋において神に近づくためには、いけにえをささげる必要があります。

① 全焼のいけにえ(燔祭)〔任意のささげもの、自発的、香ばしい香り〕
② 穀物のささげもの(素祭)〔任意、自発的、香ばしい香り〕
③ 和解のいけにえ(酬恩祭)〔任意、自発的、香ばしい香り〕
④ 罪のためのいけにえ(罪祭)〔義務的、香ばしくない香り〕
⑤ 罪過のためのいけにえ(愆祭)〔義務的、香ばしくない香り〕 


●これらのいけにえは、全体がひとつとなって、贖い(=身代わり)のいけにえとしてのイェシュアご自身、キリストご自身を啓示しています。

①〔全焼のいけにえ〕
●御父の最高の喜びのために、キリストはご自身を完全にささげられました。ベツレヘムの馬小屋からカルバリの十字架まで、地上における主の道は、御父の意志に対する心からの絶対的な服従でした。キリストの生涯を要約する聖句は次の通りです。「わが神。私はみこころを行うことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」(詩篇40篇8節、へブル10章7~9節)。罪なきキリストが神(御父)のみこころにかなった完全なるささげものとなられたのです。

②〔穀物のささげもの〕
●穀物は人の労苦の結実です。したがって、このささげものはキリストご自身が完全な人間性を備えておられたことの型です。また、人間に仕えるためにご自身をささげられたキリストの型でもあります。

③〔和解のいけにえ〕
●このいけにえによって、神との交わりを楽しむことができました。神にささげた部分は脂肪の部分であり、残りの部分はささげた人のものとなりました。このいけにえは、神と人との和解、結びの帯としてのご自身をささげられたキリストの型です。キリストのいけにえによって、神はなだめられ、人は神との和解が与えられ、神との平和が成立したのです。

④〔罪のためのいけにえ〕
●このいけにえは意識的に犯した罪ではなく、無意識に犯した罪の赦しのためのものでした。キリストは私たちの身代わりに罪(原罪)となられた方です。

⑤〔罪過のためのいけにえ〕
●このいけにえは過失、および自覚的な罪のためのもので、神に対しての罪過、人の所有権に対する罪過で、償い(賠償)が求められます。キリストはこの賠償つきの罪のためにも、私たちの身代わりとなられた方です。


●②を除くすべてのいけにえは、みな血を注ぎ出すものです。血はいのちそのものであるゆえに価値があり、力があるのです。血を注ぎ出すいけにえによって、神から隔絶した人間の罪が赦されて神に近づくことができるのです。

●旧約聖書のレビ記と新約聖書のへブル人への手紙を学ぶことによって、レビ記の一見無味乾燥に思えるさまざまな規定が持つ意味の深さと重要性を知るようになり、「キリストの十字架の血による贖いの神秘」を悟ることができるようになるのです。

バックストン.JPG

●日本の宣教のために来日したイギリスの宣教師で「ビ・エフ・バックストン」(1860年8月16日 - 1946年2月5日)という方がおられます。彼とその弟子たちは日本の福音派の中で「松江バンド」というグループを形成し、大きな影響を日本の教会に及ぼしました。その「バックストン」は宣教師のみならず、稀有な教師でもありました。彼の講義の中に「レビ記講義」というものがあります(初版は明治37年2月)。「ただ信ぜよ」で良しとせずに、難解なレビ記を通して、主の弟子となった者たちに十字架のヘブル的ルーツを正しく理解させるために力を注いでいたことが分かります。幼子クリスチャンから成熟した大人のクリスチャンになるためには、堅い食物が必要です。次世代の主にある者たちは、堅い食物の中から神の深い真理を汲み出す者とならなければなりません。教会はそのように育成していかなければなりません。でなければ、生涯乳ばかり飲んでいるような幼子クリスチャンにとどまってしまうからです。神の霊的な力を神のみことばから引き出せるような成熟した者たちの存在が、これからの時代に求められているのです。


2016.4. 4


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