共観福音書はもともとヘブライ語で伝えられた
共観福音書はもともとヘブライ語で伝えられた
- ミルトス社の河合一充氏は「くだん日記」で以下のように書いています。
私のライフワークは、「新約聖書の共観福音書はもともとヘブライ語で伝えられ、ヘブライ語を学べばもっと深く福音書は理解できる」という信念で、キリスト教徒の間にヘブライ語への関心をもってもらうこと。
言い換えれば、イエス・キリストの言葉はアラム語であった、という定説をひっくり返すことである。
ちゃんとヘブライ語を話し、ヘブライ語で祈り、ヘブライ語で教えられた。
当時のエルサレムの人々もそうだった。
これはシュムエル・サフライ元ヘブライ大学の教授から学んだことである。それに関連して、マタイ伝がもともとヘブライ語原文だった痕跡があるので、紹介したい。
洗礼者ヨハネのことばに、
「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな(自慢するな、ということ)
神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」(3・9)(造り出す、というより「起こす」のが適切)ここの「石」と「子」はヘブライ語でアバニームとバニーム(それぞれ複数形)である。聖書の原文は、実は語呂合わせになっている。アラム語ではこうならない。洗礼者ヨハネがヘブライ語で人々に語った、その可能性は大きい。
面白くない? すいません。でも覚えて、「石」はエベン、「子は」ベンといいます。(単数形)
- ちなみに、マタイの福音書3章9節のヘブル語訳を以下に掲載しておきます。
【新改訳改訂第3版】
マタ 3:9 『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
2013.2.11
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