各部族の人口調査(第一回目)
民数記の目次
1. 各部族の人口調査(第一回目)
【聖書箇所】 1章1~54節
【鍵語】「登録」
【Key verse】1:18
「・・・そこで氏族ごとに、父祖の家ごとに、20歳以上の者の名をひとりひとり数えて、その家系を登記した。」(新改訳)
はじめに
- 特に「家系を登記した」(新改訳)、「家系図に記入し(た)」(岩波訳)、「登録された」(関根訳)と訳された動詞は一つ、「ヤーラド」(יָלַד)です。ここではその強意形ヒットパエル態で「家系を宣言する」と言う意味もあります。「ヤーラド」(יָלַד)のヒットパエル態は民数記1章18節にのみ使われています。ちなみに、「ヤーラド」(יָלַד)の本来の意味は「(母が子を)産む、(父が子を)生む、生じる、起こる」という意味です。ピエル態では「分娩させる」となり、名詞形は「助産婦」(出1:19)という意味になります。
- 19節の「モーセはシナイの荒野で彼らを数えた」という「数えた」という動詞「パーカド」(פָּקַד)も類義語で、「調べて登記した」という意味を持っています。岩波訳も「登録した」と訳しています。ちなみに、「パーカド」(פָּקַד)は神の恩寵としての「訪れる」「顧みる」「報いる」という意味を有している語彙です。
1. 神が命じられた「家系を登記する」ことの意義は何か
- ヤコブの家族がエジプトへ行ったときには70名でした。しかしエジプトで彼らは増え広がり、エジプトを出る頃には何百万人と膨れ上がっていました。シナイの山の麓で神との合意に基づく契約を交わし、神は彼らの神となり、彼らは神の民となりました。そして、神の臨在する幕屋を中心として宿営し、約束の地に向けて彼らはこれから進んで行こうとしています。どんな敵が攻めてくるかわかりません。烏合の民から整えられた民へと組織化される必要がありました。その最初に神が命じられたことは、民のうち、20歳以上の男子を、氏族ごとに(民1:2)、父祖の家ごとに(1:2)、部族ごとに(1:4)―これらの語彙はすべて同義―ひとりひとり調べて、その「家系を登録する」ことでした。
- 2章32節によれば、20歳以上の男子の数は総勢60万3千5百50人(603,550人)でした。ですから、女、子ども、老人も含めるならば、少なく見積もったとしてもその四倍以上であったと考えられます。それほどの数の人々がモーセとアロンを中心として進んでいくわけですから、それなりの「整え」が必要であることは、神から命じられなくても予想できます。すでにモーセは義父のイテロの助言にしたがい、民たちのさまざまな訴訟問題をさばくための組織化を行っています(18章)。千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を立てて、権威の移譲をはかっています。また、出24章1節では神との契約において立ち会った長老70人がいたことを物語っています。そして、民数記1章では、神ご自身が新しく各部族(氏族、父祖の家、しかもレビ族を除いた12部族)から、それぞれの代表者を召し出して、モーセとアロンを支える助手とされました。しかし、20歳以上の男子が、各部族ごとに、氏族ごとに、そして父祖の家(家族のこと)ごとにひとりひとりの名前が登記されたのにはもっと深いが意味があるようです。
- ひとつの国において、ひとりひとりの成人の名前が登記されることは、国勢調査する上で必要というだけでなく、税を徴収する意味においても重要なことでした。イスラエルにおいても登録にされた者にひとり当たり1ベカ(5.7グラムの銀)が求められたようです(出38:26)が、それは幕屋を建造するためであったようです。しかしそれ以上に、ここで神が単なる塊(かたまり)の大群衆としてではなく、「ひとりひとりを数えて、家系を登記する」ことのなかに重要な意味が隠されているように思います。
- 聖書の中では「人口調査」、もしくは「人口登録」というのは、ネガティヴなイメージがあります。ダビデはその晩年、人口調査をしたことで、神の怒りに触れ、多くの民が死ぬというさばきを招きました。新約で「人口登録」するというのは、その時代の世界の覇者であるローマ帝国が属国に対して税の取り立てをするためでした。
- しかし、民数記の第1章では、神ご自身が人口調査をし、「家系を登記する」ことを命じられたのです。家系を登記するということは、神の民のひとりひとりが自分のどこに所属しているのかを明確に意識させるだけでなく、神がアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約とその保障の中にあることを確信させるためでした。国籍を持つということは、単に、その人がどこの国の者かということだけでなく、その国におけるあらゆる恩恵に預かることを意味します。自分が安心して生活することのできる場所が保障されることになります。
2. キリストにある者も天に国籍を持ち、登録されています
- 新約時代の神の子どもたちは水と霊によって新しく神の国に生まれ、そこに登録された者たちのことです。ヨハネの手紙第一5:1には「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです」とありますが、自分の出生が明確であることは神の子のアイデンティティの確立においてきわめて重要です。信仰によって、キリストにある者たちはすでに天に属する者として登録されているのです。この霊的な登録が不確実であることは、霊的祝福を保障されません。
- 私たちは、キリストにあって、死からいのちへ移行して神に帰属する者となっているのです。そして神と親しく交わることのできる永遠のいのちを与えられています。しかし、自分の出生が不確かで、秘密のままであるなら、自分という存在そのものが不確かとなり、生きていく力を奪われないともいいかねません。自分の出生が明確であること(自分の父が誰であり、だれが自分の母であるか、自分の兄弟はだれかをはっきりと知って生きること)は、その人に生きる自信をもたせます。しかしそこに秘密がある場合には、自分の存在の土台にゆらぎが生じます。したがって、神の子(民)が自分が天に属する者であるという明確な認識は生きる上で大きな力をもたらすのです。しかもその明確な認識は、これから遭遇することになる敵との戦いに備える上でも優先度の高い事柄なのです。
- イエスが遣わされた70人の弟子たちが喜び勇んでイエスに報告したとき(ルカ10章)、「そんなことで喜んではなりません」と言われました。「そんなこと」とは、弟子たちがイエスの名前を使うと悪霊たちが彼らに従ったというものでした。それは弟子たちにとっては驚くべき出来事であり、喜ぶのも無理はありません。しかしイエスは、その報告を聞いた時、むしろ「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」と言われたのです。
- 「あなたがたの名が天に記されている」という事実がいかに重要度の高いものであるかということを知る必要があります。「名が天に記されている」ということは、神のあらゆる豊かな祝福を受けることのできる者として登録されている」ということです。しかもそれは、「神を親しく知り、神と親しく交わることのできる特権」を意味します。イザヤ書49章15, 16節には神の民を意味する「シオン」が、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と言った時に、主は「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしは忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」と言われたことが記されています。これは「あなたがたの名が天に書き記されている」ことの旧約版と言えます。
- イスラエルの民の先祖は、ヤコブ、イサク、アブラハムへとたどり着きます。神がアブラハムを選び、彼から生まれ出る子孫を祝福することを約束されました。ヤコブから12の部族が生まれ出ます。そしてそれぞれ約束の地での嗣業が約束されているのです。
- 同様に、キリストにある者たちも、神の働きや敵との戦い以前に、常に、天にあるキリストにある立場を保つことが何より重要なことと信じます。自分がすでにキリストと共に神の右の座に座っていることを信じなければなりません。ちなみに、エペソ人への手紙の鍵語は「座す」「歩む」「立つ」の三つです。しかしその中で最も大切なことは、「座す」こと、つまり、自分のキリストにある立場を知ることです。このことが後の「歩む」「立つ」を支えていくからです。
- 使徒パウロはピリピに宛てた手紙の中で、「私たちの国籍は天にあります。」(3:20)と記しています。「天」とは「神」を意味します。キリストにある者たちは、信仰によって、みな神のうちにそのひとりひとりの名が刻み込まれて、確かな永遠の保障の中にあることを確信しなければならないのです。このことを決しておろそかにしてはならないのです。むしろ、日々の瞑想を通してその確信をいよいよ深めていく必要があるのです。
3. 父祖の家ごとに・・
- 1:18の中に「氏族ごとに」(「レ・ミシュパーハー」לְמִשְׁפָּחָה)、「父祖の家ごとに」(「レ・ヴェイト・アーヴ」לְבֶית אָב)とあります。ヤコブには12人の息子たちがおり、その息子たちは「部族」מַּטֶהを形成します。「氏族」とはその「部族」の中にある息子たちを意味します。ちなみに、「父祖の家」とは「家族」のことです。「部族」「氏族」「父祖の家(家族)」の総称が「家系」という言葉で表わされています。
- モーセの次の指導者となるヨシュアはその生涯の終わりにおいて、「私と私の家とは主に仕える」(ヨシュア記24:15)という信仰告白をしていますが、この告白ができるクリスチャンホームは日本においてどれほどいることでしょうか。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16:31)と使徒パウロは言いましたが、「あなたの家族」とは、今の家族だけでなく、その家族の子どもたちがやがて結婚して造り出していく新しい家族をも含んでいるのです。信仰の継承の祝福がこのみことばのうちに約束されています。日本の教会においては、信仰の継承それ自体が大事業(難事業)なのです。
- 民数記にある「20歳以上の者のひとりとひとりを数える」とは、単なる年齢だけのことではなく、この世との戦いに信仰をもって立ち向かうことのできる「一人前としての自覚」を意味します。そうした者が建て上げられていく祝福を求めたいと思います。
- 「氏族ごとに、・・家系を登記する」ことの目的は、アブラハム、イサク。ヤコブを通して与えられた神の約束が次の世代に受け継がれ、さらに次の世代へと継承していく大きな課題と責任を自覚させることにあったと言えます。
2012.1.6
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