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幕屋建造プロジェクトの秘訣

20. 幕屋建造プロジェクトの秘訣

【聖書箇所】 35章~40章

はじめに

  • モーセの必死のとりなしによって、主がともに行ってくださるというその保証としての「契約更新」と「幕屋建造」の取り組みにイスラエルの民たちは感動を与えられたようです。35章からはじまる幕屋建造は実に感動的です。なぜなら、そのプロジェクトは「すべて心から進んでささげる者」、また「心に知恵ある者」たちによってなされたからです。

1.  幕屋建造は自発的行為によるもの

  • エジプトにおいては長い間にわたって、常に上からの命令によって管理されていた人々が、ここではじめて自ら進んで神にささげ物をします。それはモーセがもう十分すぎるほどだとしてストップをかけるまで、民はささげることをやめなかったほどです。強制的ではなく、すべてが自発的で、かつ献身的行為が民たちの中に起こされたのです。ここに神のための幕屋建造の意義があったと言えます。
  • 心から進んで」(「ネディーヴ・レーヴ」נְדִיב לֵב)という近似したフレーズが35章には多く見られます。自発性を表わす「進んで」という形容詞は「ナーディーヴ」(נָדִיב)。「気前のよい」という意味です。「進んでする」という動詞は「ナーダヴ」(נָדַב)は「喜んで、進んで、気前よく・・する」という意味です。幕屋を建造するときには、「すべて、心から進んでささげる人から、奉納物を受け取らなければならない」ことをモーセは出25章2節で主から語られていました。
  • やがて、ダビデが自ら主の神殿を建てるための資材を準備しようとして民たちに呼びかけたとき(1歴代29:5, 6, 9, 14, 17)にも、捕囚から解放された後の第二神殿を建てたとき(エズラ1:6/2:68/3:5/7:13, 15, 16, 16)にも、同様の「ナーダヴ」(נָדַב)が使われています。
  • 詩篇51篇で、ダビデは「喜んで仕える霊が、私をささえますように」(新改訳12節、新共同訳14節)と祈っています。「喜んで仕える霊」(新共同訳は「自由の霊」と訳しています)は、原文では「気前の良い霊」
    (「ルーアッハ・ネディーヴァー」רוּחַ נְדִיבָה)です。この「喜んで仕える霊」「自由の霊」こそ、神によって造られる新しい心なのです。この心こそ、神を愛する心として最も尊ばれるべきものと言えます。「しなければならないから」という強迫的な義務感、律法的な束縛による恐れから解放されて、神を愛する自由な霊、喜んで仕える霊が私をささえているかどうかをいつも点検する必要があります。「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します」(Ⅰヨハネ4:18)とあるからです。全き愛から生まれる自発的な、自由な心こそ神の前に創造的なものを創り出して行く力なのです。

2. 幕屋建造において神から賦与された特別な力

  • この幕屋建造という創造的プロジェクトにおいて、直接的に携わった技術者たちは神からの特別な力が与えられました。特に、以下の二人に与えられた能力は際立っていました。

(1)ユダ部族の「ベツァルエル」(בְּצַלְאֵל)

●「神の陰(保護)に」という意味。ユダ族ウリの子ペレツ、ヘツロンの子孫(Ⅰ歴2:20)で名工匠。神の霊に満たされて卓越した技能を持っていた(出31:1,35:30,36:1, 2)。特に、貴金属や宝石の細工,木の彫刻,建築,木工などにすぐれており(出37:1,Ⅱ歴1:5)、また、そうした技能を教えるすぐれた教師でもあった(出35:34)。いわばモーセの幕屋建設工事の棟梁を務めた(出38:22)。〔新聖書辞典、いのちのことば社〕参照。

●「影」が存在するためには「光」が存在しなければならない。「ウリの子ベツァルエル」の「ウリ」(原語は「ウーリー」אוּרִי)で「私の光」という意味。「ウリの子ベツァルエル」とは、本体である「光」と「影」とは切っても切れない関係にあることを示唆している。


(2)ダン部族の「オホリアブ」(אָהלִיאָב)

●「オホリアブ」とは「父の天幕」という意味。ダン部族のアヒサマクの子で、神に賜物を与えられ、会見の天幕の建設と調度品製作において、また他の工人に教えることで、ユダ部族のベツァルエルを助けるように任命された(出31:1‐11,35:30‐36:3,38:22‐23)。神は,彼らがあらゆる仕事と巧みな設計をなす者として,彫刻する者,設計する者,および青色,紫色,緋色のより糸や亜麻布でししゅうする者、また機を織る者とした。〔同上〕参照。

●「アヒサマク」(=「アヒーサーマーフ」אֲחִיסָמָךְ)とは「兄弟を支える」の意。

  • 主は彼らにすぐれた知恵と英知を授けられました。ここで大切なことは、幕屋建造において、単に、自ら進んでささげる者たちがいたとしてもそれだけでは建造することはできないという事実です。卓越した技術と人に教える力、すべての上に立ってそれを成し遂げていく知恵をもった存在が必要なのです。その必要な知恵は神が授けたということが重要です。彼らは、神から与えられたものを、神の栄光のためにささげたのです。
  • 彼らの指導のもとに幕屋のすべての部分が一つ一つ造られていきました。そして、39:32では「こうして、会見の天幕である幕屋の、すべての奉仕が終わった」とあります。それを見たモーセは「彼らを祝福した」(39:43)のです。
  • 幕屋建造の目的は、25章8節にあるように「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」ということです。まさに、民が自ら進んでささげ、献身的な奉仕によって、また神から知恵を授けられた二人の者が、神の指示通りに造ったこの幕屋の中に神ご自身が住んでくださることにより、神がイスラエルの民と共に歩んでくださるしるし、これが幕屋なのです。
  • 会見の天幕である幕屋のすべての部分が完成し、それを組み立てるのは第二年目の第一の月の一日目(40:2)であると主から指定されます。それはその月の14日、すなわち過越の祭り(出エジプトしてからちょうど一年後)に間に合うことになります。主がモーセに命じられたとおりに幕屋が組み立てられた時、「雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた」(40:34)のです。「雲」は神の臨在の象徴です。
神の臨在の象徴
  • イスラエルはこの雲が幕屋から上ったときに旅立つことになります。雲が動かなければイスラエルの民はそこにとどまりました。イスラエルの民はいつもその「雲」を見ていなければなりませんでした。このようにして幕屋は、イスラエルの宿営の中心に置かれることで、主がそこに臨在し、主が共に歩まれることとなったのです。イスラエルの民は、このようにして神の民として成立することになるのです。
  • イスラエルの民が神の民としてどのように歩んでいくか、その実態が民数記で記されています。大祭司の胸当てにあるエポデの宝石は、部族の宿営と行進の配列が埋め込まれています。

    画像の説明

2011.12.31


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