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彼女によって、私は建て上げられる

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55. 彼女によって、私は建て上げられる

【聖書箇所】 創世記16章2節

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【読み】
ヴァトーメル サーライ エル アヴラーム ヒンネー ナー アツァーラニー アドナーイ ミッレデット
ボー ナー  エル シフハーテー ウーライ イバネー ミメーナー
ウァイシェマ アヴラーム レコール サーラーイ

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
サライはアブラムに言った。「ご存じのように、【主】は私が子どもを産めないようにしておられます。どうぞ、私の女奴隷のところにお入りください。たぶん彼女によって、私は子どもの母になれるでしょう。」アブラムはサライの言うことを聞き入れた。
【口語訳】
サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。
【新共同訳】
サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。
【岩波訳】
サライはアブラムに言った、「ご覧のように、ヤハウェは私に子をお授けになりません。どうか、わが仕え女のところにお入り下さい。きっと、彼女によって私は面目をほどこしましょう。」アブラムは彼女の訴えを聞き入れた。
【バルバロ訳】
サライはアブラムに言った、「ご覧、主は、私が子を生むのをお許しくださらなかった。あなたが私の女奴隷といっしょになったら、彼女を通じて私が子をもうけることになるかもしれません。」アブラムはサライの願いを聞き入れた。
【NKJV】
So Sarai said to Abram, "See now, the Lord has restrained me from bearing children. Please, go in to my maid; perhaps I shall obtain children by her." And Abram heeded the voice of Sarai.

【瞑想】

創世記16章2節で注目すべきフレーズは、サライが女奴隷ハガイによって、自分を建て上げようとしたことです。つまり、ここでサライが自分を「建て上げる」とは、子どもの母となる事によって妻としての面目をほどこすことができると考えたのです。しかもその手段は、神によってではなく、女奴隷によってでした。

聖書における「建て上げ」の系譜には二つの流れがあります。一つは神によって「建て上げ」られる系譜です。もう一つは、自分の知恵と力で「建て上げ」る系譜です。前者の最初の例は、創世記2章22節にアダムが寝ている間に主は彼に必要な助け手を備えられた(בָּנָה)出来事やノアが祭壇を築いた(בָּנָה)ことに見られます。しかし後者の例は、エデンの園を追い出されたカインは自分の力で町を建設した(בָּנָה)ことに見られます。

詩篇127篇1節に「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい」とあるように、その真理の例証が創世記の16章です。この16章は妻のサライが自分で良かれと思ってしたことが、自分だけでなく、周辺にいる人々の心の奥深くに潜んでいた「暗闇」を引き出してしまう結果となり、人々はその重苦しい暗闇に支配されてしまいます。その様相が明確に描かれています。

そもそも事の発端は、妻のサライが女奴隷によって自分が母として、妻として面目を保ちたいというプライドからはじまりました。それが彼女の心の中に隠れていた暗闇を、同時に、彼女の周辺の者のうちにある暗闇をも噴出させてしまったのです。自分のプライド、面子、立場、意地を建て上げようとすることによって引き出された暗闇がアブラムの家庭を支配するようになったのです。

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その暗闇を表す表現がこの章に登場します。ひとつは、女奴隷のハガルは自分が妊娠したことで女主人サライを見下げるようになったことです。「見下げる」という動詞は「カーラル」(קָלַל)です。「軽く見る、軽んじる、呪う」という意味です。ヘブル語直訳では「彼女の目に軽くなった、軽く見るようになった」となっています。

それはサライにとって「横柄さ、不当な目、被害」と感じました。ヘブル語では暴力、暴虐、残忍さ、不正を意味する「ハーマース」(הָמָס)が使われています。そしてとても耐え切れないものとなり、それがハガルへの虐待につながります。そしてサライの「虐待する」(「アーナー」עָנָה)ことの方がまさってしまい、ハガルはいたたまれずに逃げ出してしまったのです。しかし、そんな暗闇の中に主はおられました。ハガルをご覧になった主は、再び、アブラムの家に戻り、身を低くするようにとハガルを励ましました。

創世記16章の教訓は、自分が良かれと思ってしたことが、想定外の問題を引き起こしてしまうことを物語っています。しかもそれは人間の最も醜い暗闇を表出する事態をもたらしました。ハガルから生まれたイシュマエルが12歳になるまで(つまり成人となるまで)は、主の臨在も、主からの語りかけも、アブラムとサライに一切ありませんでした。とても心の重い暗闇の13年間を過ごしたのです。しかしこの経験は、彼らが信仰の次のステップに進むためにはどうしても通らなければならない必要なプロセスでした。


2013.4.10


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