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救いの論証(3)


9. 救いの論証(3) 「アブラハムとの約束は不変」

【聖書箇所】3章15~18節

ベレーシート

※3章15~18節の総論

●2章16節にある「人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められる」という提題の第三の論証が、3章15~18節に述べられています。ここでの要点は「アブラハムとの契約、その恵みによる相続は、律法によるのではなく、神の約束によってなされる」ということです。信仰が約束に変わっています。というのも、信仰は神の約束に基づいているからです。パウロはその約束が不変であることを論証しようとしているのです。

■ 3章15節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙3章15節
兄弟たちよ、人間の例で説明しましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。

●ここでパウロは珍しく「人間の例」を持ち出しています。「人間の例」と訳された語彙は「人間に従って、人間のやり方に従って」を意味する「カタ・アンスローポン」(κατὰ ἄνθρωπον)の二語で、新共同訳は「わかりやすく」、聖書協会共同訳は「人間を例にとって」、新改訳改定第三版は「人間の場合にたとえて」、口語訳「世のならわしを例にとって」、佐竹訳「人間的な仕方で」、山岸訳「人間社会の原理で」などと訳しています。

●神の真理は決して「世のならわし」によって、「人間社会の原理」によって証明されるわけではありません。しかしパウロは、ここで一般の人々によって経験され認められていることが、神の真理によって裏打ちされていることを示すために「カタ・アンスローポン」を使ったようです。ちなみに、この表現はこの箇所だけです。

●「契約」(「ディアセーケー」διαθήκη)とあります。新改訳改定第三版と新共同訳では「遺言」と訳していましたが、その改訂版である【新改訳2017】【聖書協会共同訳】では、いずれも「契約」に改訳されています。その改訳の理由はわかりません。「人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません」とあるように、なおさら、神との契約ならば、それを反故にすることは決してできないという「契約の不変性」をパウロは強調しようとしています。これは17節の伏線になっています。

■ 3章16節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙3章16節
約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。それはキリストのことです。

●冒頭に接続詞「デ」(δὲ)があります。「さて、ところで」の意味。

●15節の「契約」(「ディアセーケー」διαθήκη)が、16節では「約束」(「エパンゲリア」ἐπαγγελία)という語彙に変わっています。ところで、「約束(「エパンゲリア」ἐπαγγελίαの複数)が、アブラハムとその子孫に告げられました(「告げられました」は「言う、語る」を意味する「レゴー」λέγωの3人称複数アオリスト受動)」とあります。ここでは多くの人々を指すかのような「子孫たちに」とは言ってはいません。かえって(むしろ)、一人の人を指しているかのように、こう言っています。原文では「そして、あなたの子孫に」(「カイ・トゥー・スペルマティ・スー」Καὶ τῷ σπέρματί σου)。「その方とは、キリストです」(「ホス・エスティン・クリストス」ὅς ἐστιν Χριστός)とあります。

【新改訳2017】創世記15章5~6節
5 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。」さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」
6 アブラムは【主】を信じた。それで、それが彼の義と認められた。

●この箇所だけを読むなら、「あなたの子孫は、このようになる」とは、「あなたの子孫」(「ザルエハー」זַרְעֶךָ)の数が星の数ほどになるという意味で言われています。へブル語の「子孫」(「ゼラ」זֶרַע)という語彙は集合名詞ですから、常に単数形で用いられます。ところが、パウロはこの単数形を「キリスト」に当てはめているのです。

●アブラハムになされた数々の約束とは何でしょうか。

【新改訳2017】創世記12章7節
【主】はアブラムに現れて言われた。「わたしは、あなたの子孫(זַרְעֲךָ)にこの地を与える。」アブラムは、自分に現れてくださった【主】のために、そこに祭壇を築いた。

【新改訳2017】創世記13章15節
わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫(זַרְעֲךָ)に永久に与えるからだ。

【新改訳2017】創世記17章7節
わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫(זַרְעֲךָ)との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫(זַרְעֲךָ)の神となる。

【新改訳2017】創世記22章18節
あなたの子孫(זַרְעֲךָ)によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。

【新改訳2017】創世記24章7節
天の神、【主】は、私の父の家、私の親族の地から私を連れ出し、私に約束して、『あなたの子孫(זַרְעֲךָ)にこの地を与える』と誓われた。その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。あなたは、そこから私の息子に妻を迎えなさい。

●以上の聖句にある「あなたの子孫」はすべて単数形の「ザルアハー」(זַרְעֲךָ)です。子孫(「スペルマ」σπέρμα)は、本来、集合名詞としての「子孫」の意味ですが、これをなぜパウロはキリストのことを表していると解釈しているのでしょうか。それは、アブラハムに対する約束はイェシュア・メシアにおいて成就しているからです。メシアなるイェシュアはイスラエルの民の歴史を踏み直した方であり、アブラハムの子孫であるイスラエルも、あるいは教会も、キリストに対する信仰によって、はじめて数々の約束と祝福を受けるからです。アブラハムに対する約束は、イェシュア・メシアにおける約束の予型だからなのです。それゆえ、地のすべての国々は、イェシュア・メシアに対する信仰によって、アブラハムの子孫と言えるのです。

●ちなみに、神がアブラハムと契約を結んだのは七回(すべて創世記)です。その一つひとつを、聖書を開いて確認してみましょう。そしてアブラハム契約にある数々の約束とクリスチャンに約束されているものを比べてみましょう。

①創世記12章1~3節
②12章7節
③13章14~17節
④15章1~21節
⑤17章1~14節
⑥18章10節
⑦22章15~18節

●神がアブラハムと結んだ契約は、イサク(創世記26:3, 24)とヤコブ(創世記28:13~15、35:12)にも繰り返されます。それはアブラハムの子孫ばかりではなく、地のすべての民にまで効力を及ぼす契約だったのです(詩篇105:8~11、ガラテヤ3:7~9、29)。

●ローマ人への手紙4章21~25節に、アブラハムのことが次のように記されています。

【新改訳2017】
21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
22 だからこそ、「彼には、それが義と認められた」のです。
23 しかし、「彼には、それが義と認められた」と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、
24 私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです。
25 主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。

●アブラハムが義と認められたのは、「ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります」とあります。ここでの「私たち」とは、イェシュアをメシアと信じるユダヤ人と異邦人クリスチャンを含む「教会」のことです。

■ 3章17節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙3章17節
私の言おうとしていることは、こうです。先に神によって結ばれた契約を、その後四百三十年たってできた律法が無効にし、その約束を破棄することはありません。

●15節でパウロが言わんとしていることが、再度、主張されます。「先に神によって結ばれた契約」とは、神がアブラハムに対して約束された契約です。その契約が「四百三十年たってできた律法」によって無効にされることは決してないと主張しています。「四百三十年たってできた律法」とは「モーセの律法」(シナイ契約)のことです。この契約は神が仰せられた戒めのすべてを守り行うならば、神は彼ら(イスラエル)の神となり、彼らは神の民とされるという条件付きの契約です。もし、彼らが戒めを守ることができなければ、彼らはのろわれ、さばかれてしまうという契約です。

●ちなみに、「四百三十年」という年数は、以下のように、イスラエルのエジプト滞在の期間(出エジプト12:40~41)となっています。

【新改訳2017】出エジプト記12章40~41節
40 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。
41 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、【主】の全軍団がエジプトの地を出た。


■ 3章18節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙3章18節
相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです。

●18節にガラテヤ書で初めて「相続」という語彙が出てきます(「相続財産」とも訳されます)。これはヘブル語の「ナハラー」(נַחֲלָה)のギリシア語訳です。エペソ書では1章14節、1章18節、5章5節では「御国」との関連で「受け継ぐ」と訳されています。「相続」と訳された「クレーロノミア」(κληρονομία)はガラテヤ書ではここ1回限りですが、3章29節、4章1, 7節では名詞の「相続人」(「クレーロノモス」κληρονόμος)で使われ、30節、5章21節では動詞の「相続人となる」(「クレーロノメオー」κληρονομέω)で使われています。織田昭編「新約聖書ギリシア語小辞典」によれば、聖書中での「クレーロノミア」の意味の重点は、「神が私に与えたもの、また私に約束したものが『わが所有』であることの絶対的確かさ」という点にあると説明されています。キリストにあって、私たちに約束されていることは、「御国を受け継ぐ者とされること」、御国の「相続人とされること」、「相続人に定められること」「特権を与えられること」です。これらは律法によって与えられるのではなく、約束によるものであるということです。

●神は御国の相続という祝福を無条件で与えると約束しているのであって、その資格を自分の努力で得ようとする者には決してお与えになりません。自分にはその資格がなく、神の一方的な恵みによって与えられるものだということを信じる者に与えられるのです。つまり、約束は信仰によって受け取るということを、パウロはここで「相続の恵みを下さった」としています。この動詞は「好意を示す」という意味の「カリゾマイ」(χαρίζομαι)の完了形中態3人称単数です。完了形は今もなお続いていることを示す時制です。つまり、「相続の恵みを下さった(与えられた)」のはアブラハムだけでなく、「私たちが信仰によって約束の御霊を受ける」 (3:14) ために、今もなお有効だと言っているのです。

2019.8.29


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