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権威をもって命令する祈り

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B-06. 権威をもって命令する祈り

はじめに

  • キリストの権威―イエスの御名―を用いることは、しばしば「信仰の命令」として言及されている。この真理は、聖書の中で象徴や実例によって教えられている。

(1) モーセの神の杖

  • モーセの杖は、エジプトのパロに対する神の代表としての権威の象徴であった。モーセはエジプト王パロのもとから逃げてミデヤンの地に住んだ。そこで平穏な生活を過ごしていたが、ある時、モーセは神の山で燃える柴を見た。モーセはそこで神と出会い、神からエジプトにいる同胞イスラエルの人々を救い出すことを命じられた。
  • モーセの手には羊を飼うのに使用していた杖が握られていた。この杖が「神の杖」となった。この杖により、神のみわざ(奇蹟)が行われた。それはイスラエル人にとっては神のみわざと憐れみを知る杖となったが、エジプト人にとっては災いを運んできた不吉な杖であった。モーセは神の杖を伸ばして、エジプトと魔術師や、神々の背後にある悪魔的な力と戦った。
  • エジプトを脱出した民たちが紅海を前にしたとき、エジプト軍が後ろから追いかけてきた。モーセは祈り始めた。それに対して神は「あなたは、なぜわたしに向かって叫ぶのか」(出14章15節)と語られた。そして神はモーセに海の上に杖を伸ばすようにと命じた。モーセがそのようにすると、水は分かれ、人々は乾いた海の底の地を歩いて渡ることができた。
  • この出来事のほかにも、民たちが水のことでつぶやいたとき、モーセは身の危険を感じて神に訴えた。そのとき神はモーセに次のような具体的な指示を与えた。「さあ、わたしはあそこのホレブの岩の上で、あなたの前に立とう。あなたがその岩を打つと、岩から水が出る。民はそれを飲もう。」そこでモーセが神の杖によって岩を打ったとき、水が出た。イスラエル人は神の杖により岩から水が出て、渇きをいやすという奇蹟を体験した
  • その後エジプトを出てからイスラエル人は初めての戦いをアマレクとする事になった。「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろしているときは、アマレクが優勢になった。」(16章11節)アマレク人はヤコブの兄弟エサウの子孫である。エサウとヤコブに関する聖書の預言は『兄が弟に仕える。創世記25章23節』であるが、今ここに預言通りの事が起こった。このときモーセは神の杖を持ち、イスラエル人によく見える丘の上に両手を上げ、イスラエルの勝利のために祈った。

(2) 信仰の命令の祈り

  • キリストと共にある立場を私たちが知ることによって、山に向かって、動いて海に入るよう、<信仰の命令>をすべく主イエスが語られたことを理解することができる。キリストの権威を用いることは、しばしば<信仰の命令>として言及されている。イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません」(マタイ17章20節)と。「山」は、聖書においては、しばしば大きな困難や不可能なことを示す時に用いられる。その山は私たちが命じるまで、神は決してその山を動かそうとはしないのである。
  • 信仰の命令の祈り>―この真理は、神の国が前進するうえで、あまりにも戦略的であるゆえに、イエスはこのことを繰り返された。マタイ21章21節では、イエスが実のないいちじくの木を呪われたことが記されている。「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と。するとたちまちいちじくの木は枯れてしまったことが記されている。そのいちじくの木は偽物であった。イエスはここでサタンの働きがたとえそれがどんなに大きくても小さくても、枯れてしまわなければならないことを教えられたのである。 

①イエスに見る信仰の命令の実際

  • イエスは繰り返して信仰の命令を実証された。主はツァラートに冒された人に向かって「きよくなれ」と命じられ、目の不自由な人の目に触って「開け」と命じ  られ、耳が聞こえず、口のきけない人に「エパタ」、すなわち「開け」と命じられた。また、中風の者に向かっては「起きて歩け」と言われた。また、汚れた霊たちに対しても「おしとつんぼの霊。わたしがおまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」と叱責された。さらに荒れ狂っていた波に向かっても「静まれ」と命じられた。

②使徒たちに見る信仰の命令の実際 
           

  • 使徒たちも信仰の命令の祈りを実践した。たとえば、ペテロは生まれつき足の不自由な人に向かって「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」(使徒3章6節)と命じて、彼の右手を取って立たせた。そしてこの出来事を見ていた人々に向かって、「イエスの御名が、この人を完全なからだにした」とペテロは証言した。また、ピリピで占いの霊につかれた若い女奴隷に対して、パウロは彼女を支配する霊に「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け」と命じた。すると即座に霊は出て行った(使徒16章18節)。 

③信仰の命令の祈りは聖書的である

  • このように信仰による命令は聖書的な祈りであり、とりなしの務めにおいて重要な武器となる。悪霊たちは、イエスの御名の権威によって命じられた時、その命令に従わなければならないのである。とりなしの祈りにおいては、こうした<信仰の命令>の祈りは、他の祈り(嘆願の祈り、宣言的祈り)と併用して用いられるべきである。
  • しかしこの<信仰の命令>を完全に、かつ、力あるものとして用いるためには前提がある。
    a. その生活において、神の御霊を悲しめるようなものを持っていてはならないこと。
    b. 信仰の命令は、神の御旨と調和していなければならないこと。自己中心的な目的のために、自分の栄誉のために決して用いてはならないこと。

(3) 実際的な命令の祈り

  • ところで、私たちはいつ<信仰の命令>を用いるべきであろうか。それは通常、サタンの領域を侵略する時、またサタンの激しい攻撃にあっているときなどになされる攻撃的な祈りの戦いの一つである。

    ①ある地域からサタンにそこを立ち去るように退去命令を下す。
    ②都市や町などを覆って、人々を盲目にしている暗闇の雲に散り失せるように命じる。
    ③ひとりの人、あるいは家族の問題から手を引くようにサタンに命令する。
    ④神の子たちを惑わし、あざむくことを許さない、とサタンに命令する。
    ⑤病気をもって人を悩ますことをやめるようにサタンに命令する。
    ⑥サタンがいかがわしい誘惑をもってあなたに近づく時、直ちに退くように命令する。
    ⑦神の民の中に分裂をもたらすことを止めるようにサタンに命じる。
    ⑧しばらくの間、風雨が止むように命令する。

  • このように、私たちはイエスの御名によって、信仰の命令を通してサタンを叱責する権威が与えられているのである。
  • 詩篇にも多くはないが、信仰の命令による祈りが記されている。第68篇がそうである。そこでは嘆願の祈りと一緒に使われている。
  • 「神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ」(1、2節)
  • ここには、「神よ。立ち上がってください。」「彼らを追い払ってください」と嘆願しつつ、神の敵に対して「散り失せよ」「逃れ去れ」「滅び失せよ」という信仰の命令の祈りがなされている。


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