****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想(1)「堅く立つ」

ラメド瞑想(1) 永遠に堅く立つ

テキスト | 瞑想(2)

  • この段落(v.89~96)の中心的なことばは、93節後半の「あなたは私を生かしてくださった」ということです。「私を生かした」神のことばの永遠性、確実性がこの段落のテーマだと思います。
  • 神の「ことば」「真実」「戒め」「みおしえ」は、とこしえの昔から、代々に至るまで、そして今も、天においても、地においても、不変であり、不動であることを告白しています。この世においてどんなにすばらしいと思われるものも、いつかやがて色あせ、終りがくることを知り、永遠に堅く立つものに信頼しようとする作者の気持ちが伝わってきます。
  • 89節の天に「定まっている」と訳されるナーツァヴנָצַב(natsav)は、本来は、「立つ」「まっすぐに立つ」「ずっと立ち続ける」ことを意味します。90節の「据えた」と訳されたクーンכּוּן(kun)も、90,91節で「堅く立っている」と訳されたアーマドעָמַד(`amad)、みな同じく「立つ」という類義語です。このように類義語を重ねることで、よりその確かさ(確実性)を強調しているようです。神のことばは天においても、地においても、そして永遠に不変であり、不動であり、決して崩れることがないことを告白しています。と同時に作者は、そこに堅く立つことにより、自分もブレルことのない不変・不動の信仰の歩みをしたいと願っているのです。
  • そうした願いを示すことばが、93節の「決して忘れない」、94節の「求めています」、95節の「聞き取ります」ということばです。
  • 94節の「求めています」と訳されたダーラシュדָרַשׁ(darash)は、「英知を得る」、「心を向ける」という求道性を表わす積極的表現です。原義は「熟考する」で、どちらかといえば、理性的な領域において、尋ね求める、捜し求めるという意味です。ちなみに、心情的な領域での求道を表わす「慕い求める」はバーカシュבָּקַשׁ(baqash)です。
  • 95節の「聞き取ります」と訳されたビーンבִּיןは、ことばの背後にある隠された知恵を見出そうとすることばです。作者は、日々、神のみおしえを学び、瞑想しながら、戒めの中に隠されている神の深い御旨を丹念に、しかもコツコツと捜し求め続けたのです。
  • 92節の「あなたのみおしえが私の喜び」とは自発性を表わす表現です。「喜び」と訳されたシャアシュイームשַׁעֲשֻׁעיםは(24, 77, 92, 143, 173節)は、動詞のシャーアーשָׁעַע(shaa, 119:16, 47)と共に詩119篇の特愛用語です。この「喜び」はある出来事にある特別な「喜び」ではなく、日常的に経験している「喜び」です。この「喜び」こそすべての動機、行為の源泉となるものです。詩篇119篇の作者は、苦しみを通して、その喜びという宝を神のトーラーの中に見出したのでした。
  • このように、作者を「生かし」た要因は、神のことばの「永遠性」と「堅固さ」、そしてそれらによって誘発された作者自身の「自発性」であることが分かります。ここに信仰の自立をみる思いがします。


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