****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想(1)「顧みる」

ח ヘット瞑想(1) 「顧みる」

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  • このブロックでは、39節で「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。」という告白から、「自分の道を顧みる」ということを考えてみたいと思います。「顧みる」とは、再点検するという意味です。「私は、あなたのことばを守ると申しまし た」(57節)と言ったとはいえ、いつしか、その軌道から反れているかもしれないからです。
  • 私は冬、樹林内を散策していて「輪形彷徨」なるものを経験しました。自分が歩きだしたところに、思いもよらず戻ってきてしまったのです。 「輪形彷徨」とは、目隠しをされた状態で歩くと、真っ直ぐ進めず、右か左に反れていってしまうように、自分ではまっすぐに歩いているつもりでも、知らぬ間に、同じ場所をぐるぐると回り続けるという現象です。それゆえ、「輪形彷徨」は山の遭難の要因のひとつと言われています。
  • 「自分の道を顧み」て、急いで、ためらわず、「あなたの方へ私の足を向ける」ことは、とても大切です。換言するならば、悔い改めて、自らの歩みを軌道修正することです。リヒング・バイブルでは59, 60節をこう訳しています。「私は、知らぬ間にまちがった方向に進んでいる自分に気づき、あわてて引き返し、神様のもとに駆け込みました。」
  • イエスの弟子であるペテロもイスカリオテのユダも、同じく、主を裏切った者です。しかし、本当の意味で悔い改めたのはペテロの方でした。ペテロは自分のしたことに気づき、あわてて、あわれみ深い主の方に引き返し、神の愛の懐に駆け込みました。自責のゆえに自害したイスカリオテのユダとはそこが違いました。


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