****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し完成します。******

瞑想(2)「トーヴ」

テット瞑想(2) 「トーヴ」

テキスト | 瞑想(1) |

◆テット(ט)の段落では、トーヴטוֹב(tov)という言葉が5回も使われています。そこには「トーヴ」(good) が「良くして」「良い」「いつくしみ深い」「しあわせ」「まさるもの」というふうに訳されています。

65
主よ。あなたは、みことばのとおりに、
あなたのしもべに「良くして」 (טוֹב)してくださいました。
66
「よい」(טוֹב)分別と知識を私に教えてください。
私はあなたの仰せを信じていますから。
67
苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。
しかし今は、あなたのことばを守ります。
68
あなたは「いつくしみ深く」(טוֹב)あられ、いつくしみを施されます。
どうか、あなたのおきてを私に教えてください。
71
苦しみに会ったことは、私にとって「しあわせ」(טוֹב)でした。
私はそれであなたのおきてを学びました。
72
あなたの御口のおしえは、
私にとって幾千の金銀に「まさるもの」(טוֹב)です


  • バビロンの捕囚経験を通して、神の民は神が良いお方であり、良いことしかなさることができない方であることを知るに至りました。この気づきこそが、神の民をして彼らが神の律法が当為ではなく、自ら求めるようになりました。捕囚の苦しみを経験するまでは、「あやまちを犯した」(新改訳)、「迷いました」(新共同訳)と告白しています。それは具体的に偶像礼拝でした。偶像礼拝とは、自分に良くしてくれるものであるならば、なんでも神としてしまうことです。拝金主義や自己防衛もそのひとつ。
  • 神が「良い方」であるならば、その方とかかわることでもたらされることはすべて良いことです。この認識(受け止め方)こそが、私たちのアイデンティティの根を太いものにしていきます。そして、神との愛のかかわりにおける成熟へのあこがれを抱かせるのです。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional