****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想(2)「定めに従って」

ラメド瞑想(2) 「あなたの定めにしたがって」

テキスト | 瞑想(1) |

119:91 「それらはきょうも、あなたの定めにしたがって堅く立っています。」

  • 「あなたの定めにしたがって」ということばを味わってみたいと思います。この表現は、156節では「あなたが決めておられるように」とあります。91節の「定め」と訳されたヘブル語はミシュパートです。「さばき」「戒め」「示し」「仰せ」とも訳されていますが、そのことばの原義は、神の統治理念、支配、主権、計らい、ご計画、導き、神の教育的訓練(懲罰も含む)などを表す語彙です。それらが永遠の中に、今日も崩れることなく、しっかりと堅く立っているのです。
  • 91節の後半の「すべては、あなたのしもべだからです。」という表現は人格化されていますが、関根訳では「すべてのものが、あなたに従う」としています。つまり「しもべ」という名詞を動詞的に訳しているのです。つまり、「神がその主権によって決めておられるように、すべてのものが(自分自身も含まれる)、それにそって動かされている」というイメージです。
  • 神のそうした「定め」はあまりも広範囲で、深遠で、私たち人間には到底見極めることはできません。しかし、信じることはできます。神の道は常に「聖」です。つまり、目には見えなくても、歩むべき道は海の中にあるのです(詩77:19)。神のミシュパートを信じることによって、その中に自分も生かされていることの喜びが生まれてきます。神のなさるすべてのことを見通すことはできなくても、「きょうも」その大枠の中に私が生かされているということを確信することができます。それが今を生きる「喜び」をもたらすと信じます。ですから、作者が92節で「もしあなたのみおしえが私の喜びでなかったら、私は自分の悩みの中に滅んでいたでしょう。」ということもうなずけます。自分が神の永遠の相のもとに意味をもって存在させられているという喜びを知らなかったならば、自分の悩みに押しつぶされて滅んでいたかもしれないと言っているのです。
  • 使徒パウロの生涯を見ると、「神の定めにしたがって堅く立つ」ということ、「神が決めておられるように生かされる」ということがどういうことか知ることができます。使徒パウロは、キリストに出会うまでは、熱心で厳格なパリサイ人のエリートでした。しかも犬猿の仲であったサドカイ派の大祭司からの信任を受けて、「この道」といわれる者(キリスト者)たちを迫害していました。その彼が、彼の最も嫌っている異邦人に神の福音を伝えるというのが、神の「定め」でした。この「定め」についてパウロは無知でした。しかし、彼は少しずつそのことに気づいていきます。彼がローマの市民権をもっていたことも神の福音を当時の世界の中心といわれたローマに持ち運ぶ神の配剤でした。彼が熱心にキリスト者を迫害した熱心な性格も、また、彼が祈っても聞かれなかった彼の「弱さ」も、すべては神の計らいを実現するものだったのです。
  • 神のパウロに対する主権的なご計画は、彼が存在する前から、いや、天と地の基が置かれる前から堅く立っていたのです。しかしこの遠大な神の「定め」が、今この小さな「わたし」を通して進められているのです。このことを自分のうちに堅く保って、今を生きることが大切なのだと信じます。


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