神の国はいつ来るのか
「ルカの福音書」を味わうの目次
58. 神の国はいつ来るのか
【聖書箇所】 19章11節~28節
はじめに
「人々がこれらのことに耳を傾けているとき、イエスは、続けて一つのたとえを話された。それは、イエスがエルサレムに近づいておられ、そのため人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。それで、イエスはこう言われた。」
- 「人々がこれらのことに耳を傾けているとき」の「人々」とは、いったいだれのことか?
また「これらのこと」とは、どんなことか?
さらに「続けて」とはどこからつながるのか?
これらの素朴な質問に答えを出さなければなりません。
1. 11節の「人々」とはだれのことか
- イエスがこれから語ろうとする話はだれに語られたのでしょうか。「人々が」では曖昧です。文脈から理解するしかありません。弟子であるのか、群衆であるのか、それともイエスに敵対する「パリサイ人や律法学者たち」のことか。
- 私はこれから語られるたとえの中に登場する「ある身分の高い人」(19:12)、つまり「私」(27節)である「イエス」を憎んで王となるのを望まなかったこの敵ども」について触れていること、さらには、「ある身分の高い人には十人のしもべ」がいて自分が王となって帰ってくるまで与えられた資金をもとに商売をすることが期待されているという設定からして、11節の「人々」とはイエスに敵対する者たちとイエスの弟子たちの両方を含んだ表現だといえます。
2. イエスが語られた「ミナのたとえ話」の主題
- 11節には、12節からイエスが語られるたとえ話の主題が提示されています。しかも「続けて」とあるので、その主題と関連したことがすでに語られたことが想定されています。その主題とは、「神の国はいつ来るのか」ということです。「人々は神の国がすぐにでも現れるように思っていたからである。」とあるのは、その誤解を解くために語られたたとえ話です。
- では、どこから「続けて」なのかといえば、17:20に「さて、神の国はいつ来るのか」という質問をパリサイ人から受けてイエスは次のように語りました。
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
- この例証が取税人ザアカイの救いです。19:9~10でイエスは「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
- 「神の国はいつ来るのか」という重要な問いの正しい答えは、
(1)「神の国はすでに来ている」・・「すでに」
(2)「神の国は人の子が王権をもって再び来られる時」・・「いまだ」「やがて」
- この(1)と(2)の二つの事実とともに、エルサレムでイエスが宗教指導者たちによって「捨てられ、殺され、よみがえる」という十字架の死と復活が実現されなければならないこと、これらを正しく理解しなければならないのです。これらのことが理解できるなら、イエス・キリストの語ったすべてのこととなされたことが真に理解することができるのです。
- 地上の歴史に登場したいかなる聖人(釈迦、マホメット、孔子など)は、すばらしい教えを語ったかも知れませんが、イエス・キリストのように自分が死んで葬られ、三日後によみがえった後、やがて再びこの世に来られることを想定して語った者はだれひとりとしておりません。イエスはいつでもそのような視点から話をされたのです。ですからイエスの語る話をだれも正しく理解できた者はひとりもおりませんでした。ただしそれは<イエスが死からよみがえられて、50日後に聖霊が注がれるまでは・・・。イエスの語ることばを正しく理解するためには霊的な開眼が必要です。盲人の開眼の奇蹟(18:35~43)はそのことを教え諭す出来事でした。
2012.7.19
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