****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

聖戦の布告ー諸国民に対する神のさばき

文字サイズ:

5. 聖戦の布告ー諸国民に対する神のさばき

【聖書箇所】 ヨエル書3章1~15節

ベレーシート

  • #「聖戦をふれよ、聖戦をふれよ 勇士たちよ 立て」(Em)という歌を歌われたクリスチャンたちは多いのではないかと思います。この曲はヨエル書3章9~10節の箇所をもとに作られたもので、宣教のための戦いを励ます歌として、また、教会や超教派の伝道の決起大会でもしばしば用いられていました。ところが、この歌の聖書箇所にある「聖戦」とは、主が自分の民に対してではなく、主の敵である諸国民に対して、戦いのために奮い立つことを命じていることばなのです。この戦いによって、反キリストの軍勢に対する神の最後のさばきがなされるためです。
  • つまりこの箇所は、「主による聖戦」ではなく、「主の敵による、主に対する聖戦」の呼びかけなのです。先ほどの「聖戦をふれよ」の歌は、聖書が語っている意味とは全く逆に解釈された歌だということです。こうしたみことばの解釈の思い違いは、私たちが聖書のことばをコンテキストに添って解釈することをせず、自分たちに都合の良いキャッチ・フレーズとして自己本位に用いてしまっている一つの例(たとえ)です。
  • こうした過ちを検証することができずに、鵜呑みにしてしまっているキリスト教会(あるいは、クリスチャンたち)の「みことばに対する脆弱な体質」を伺わせます。その理由は、置換神学と伝道至上主義が根強くはびこっているからだと思います。私も含めてですが、無知と的外れは罪です。

1. ヨシャパテの谷における神のさばき

【新改訳改訂第3版】ヨエル書3章1~2節

1 見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、
その日、その時、
2 わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。

  • 「すべての国民」とは「異邦人」を意味する「ゴーイ」(גּוֹי)の複数形です。ここでは冠詞付の「ハッゴーイム」(הַגּוֹיִם)が使われており、「諸々の民」「万国の民」「遠くの民」とも訳されます。ヨエル書では10回使われています(1:6/2:17, 19/3:2, 2, 8, 9, 11, 12, 12)。いずれもここでは、「終わりの日」「主の日」におけるメシアの再臨によってメシア王国が到来して神の民イスラエルの究極の救いがなされる前に、神の民の矯正のために神が用いられた反キリストの軍勢がヨシャパテの谷に集められて、神のさばきがなされることが記されているのです。
  • 神はしばしば歴史において、ご自身の民を矯正する目的のために、アッシリヤ、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマといった強力な異邦の国を用いて来られました。それは神のマスタープランの最終ステージにおいても変わりません。反キリストによる大患難という試練を用いて、神はご自身の契約の民を回復させようとします。それが、「見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。」(3:1~2)という主の宣言です。その理由は以下の通りです(3:2~3)。

わたしの民を諸国の民の間に散らし、
わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。
わたしの民をくじ引きにし、
(わたしの)子どもを遊女のために与え、
酒のために(わたしの)少女を売って飲んだ。

  • 反キリストに関する語彙はヨエル書には出てきませんが、諸国の民をまとめるリーダーがいるはずです。他の預言書にはその存在が現われて来ることが預言されています。その一つの例は、 ダニエル書7章23節を参照。そこでは「第四の獣」とあります。
  • ヨシャパテの谷」という言葉がヨエル書で初めて登場しますが、そのような名前の谷はありません。おそらく「ヨシャパテ」という言葉が「主はさばく」という意味であることから、神に敵対する「諸国の民」に最終的なさばきが下される象徴的な場所としてそのように言われているのかもしれません。4~16世紀に至るまで、「ヨシャパテの谷」はエルサレムの東側とオリーブ山との間にあるギデロンの谷と同一視されてきたようです。いずれにしても、神は「ヨシャパテの谷」において反キリストの軍勢を滅ぼし、最終的なさばきをするとしています。ただし、これはヨハネの黙示録20章にある白い御座におけるさばき(最後の審判)とは異なります。

2. ヨシャパテの谷における神のさばきの様相

  • この戦いにおいては神の民である人間は参戦しません。主ご自身ひとりの戦いです。なぜなら、イザヤ書63章3節に「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ」とあるからです。すでに携挙されて朽ちない栄光のからだを与えられたキリストの花嫁もメシアと共に地上に来ますが、この戦いを「ヨシャパテの谷」において見るだけです。
  • ところで、ヨシャパテの谷に集結する反キリストの軍勢は「はんぱない数」です。聖書はおびただしい軍勢を「群集また群集」(14節)と表現しています。彼らが流す血は「馬のくつわに届くほどになり、1600スタディオン(=約300km)に広が」ります(ヨハネの黙示録14:20)。想像を絶するような神の敵の敗北です。この大敗北の後に、「天も地も震える」ようなメシアの咆哮(叫びと声)が、シオン(エルサレム)から出されるのです(ヨエル3:16)。

3. 天の御座に着いておられる方は笑う

  • ヨエル書3章9~12節を見てみましょう。

    【新改訳改訂第3版】ヨエル書3章9~12節

    9 諸国の民の間で、こう叫べ。聖戦をふれよ。勇士たちを奮い立たせよ。すべての戦士たちを集めて上らせよ。
    10 あなたがたの鋤を剣に、あなたがたのかまを槍に、打ち直せ。弱い者に「私は勇士だ」と言わせよ。
    11 回りのすべての国々よ。急いで来て、そこに集まれ。──【主】よ。あなたの勇士たちを下してください──
    12 諸国の民は起き上がり、ヨシャパテの谷に上って来い。わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。


    ●この主の命令形の動詞を次のように訳すことができると思います。「叫んでみよ(叫んでみるがよい)」「聖戦をふれてみよ(聖戦をふれてみるがよい)」「奮い立たせてみよ(奮い立たせてみるがよい」・・・「まことに、わたしは、・・すべての国々をさばくために、さばきの座に着こう。」と。

  • そのように訳すならば、詩篇2篇にある「天の御座に着いておられる方の笑い」を見ることができるように思います。

【新改訳改訂第3版】詩篇2篇1~9節

1 なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
2 地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、
【主】と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
3 「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」

4 天の御座に着いている方は笑い、主はその者どもをあざけられる。
5 ここに主は、怒りをもって彼らに告げ、燃える怒りで彼らを恐れおののかせる。
6 「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに。」
7 「わたしは【主】の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ。
8 わたしに求めよ。わたしは国々をあなたへのゆずりとして与え、地をその果て果てまで、あなたの所有として与える。
9 あなたは鉄の杖で彼らを打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。』」

  • この詩篇2篇のキーワードは「わたしの子」です。あるいは「御子」です。その「子」「御子」を立てるのは「天の御座に着いておられる父」です。子は「鉄の杖」でさばきをなします。そのようにして神のご計画(マスタープラン=主の定め)は実現されるのです。メシア王国は「子」「御子」であるメシアによってもたらされます。私たち人間は、その戦いにおいて何もすることができないのです。

2015.1.30


a:2164 t:4 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional