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聖書とは何か

序説1.  聖書とは何か

はじめに

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  • 聖書をどう見るかということはキリスト者にとって実に重大な問題である。なぜなら、どのような聖書観を持つかによって、救いのみならず、聖書の解釈の仕方、説教、伝道、牧会、教育の仕方が決定づけられるからである。プロテスタント教会は『全聖書の66巻は、すべて神の霊感によって書かれた誤りなき神のことばであり、主イエス・キリストによる救いと生活の唯一の規範(正典)である。』と告白する。

⇒テモテ第二、3章15節~17節参照。

【新改訳改訂第3版】
3:15
また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
3:16
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17
それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


啓示性

「聖書は神によって啓示された書である。」啓示とは、神が人の意識に自己を開示することである。啓示には、自然界や歴史を通して神の存在の認識を与える《一般啓示》と、預言者や神の御子イエス・キリストの語りかけや行為を通して神ご自身を表わす《特別啓示》とがある。《特別啓示》の必要性は人間に救いを見出させるためであり、そのクライマックスはイエス・キリストの十字架と復活の事実である。


霊感性

神は預言者たちを通して、多くの部分に分け、いろいろな方法でご自身を啓示された(ヘブル1章1~2節)。その啓示が誤りなく人間に伝達されるために、神は適当な人を選んで特別な聖霊の導きを与えた。この聖書の聖書記者たちへの特別な働きを《霊感》と呼ぶ。聖書は聖書記者(40数名)が「聖霊に動かされ、持ち運ばれて語った預言的なことば」の記録である。⇒ペテロ第二、1章19~21節参照。


無謬性

「聖書は原典において誤りなき神のことばである。」

①聖書の〔無誤性〕とは、救いや信仰に関することだけではなく、歴史的、科学的な分野における記録においても誤りがないという意味。

②聖書の〔無謬性〕とは、救いや信仰に関してのみ誤りがないという意味。

③福音主義とは前者の立場に立つ。無誤性の主張は聖書理解の根幹に関わることであるゆえに重要である。もし無誤性を失うなら、将棋倒しのような現象が起こり得る懸念がある。

④「原典」とは聖書の原初本文を意味する。すなわち聖書各巻の原著者の自筆原稿。しかしこれは現在、存在しない。その存在を確認することは不可能であるが、それにほぼ同じと言って差し支えないほど正確に復元された写本を現代の教会は持っている。


正典性

①正典という言葉は規範とか基準を意味する。プロテスタント教会においては旧約聖書39巻と新約聖書27巻の計66巻からなる聖書のみを、信仰と生活の唯一の規範としている。規範とは、単なる判断の基準だけでなく、私たちを拘束する権威をも意味する。このことを正典ということばで表現する。カトリックは、この他に外典(20書)を含めており、ほかに教皇、伝統を権威として認めている。また、ものみの塔、統一協会、モルモン教も聖書以外の書物を聖書と同等、あるいはそれ以上の権威を持つものとして認めている。


②聖書は66巻の各書はそれぞれのかけがえのなさを持っている。つまり、それぞれの著者による個性や主張の多様性(矛盾、非合理、対立)を持っており、同時に66巻の全体は統一性を持っている。その統一性とは、
α. 聖書全体が救いの歴史であること 
β. 各書がキリストを証言していること(⇒ヨハネ5章39節参照)。
γ. 約束が実現していることなどに見られる。こうしたことは、聖書の真の著者が聖霊でなければ考えられない。


③正典としての聖書は「あるがままの聖書を問う」立場である。たとえば、矛盾や相異なる考えと思える聖書の教えを、人間の合理的見解で止揚したり、調整したりしないで、そのまま受け入れる立場、すなわち《一元的把握の立場》を取る。つまりAもBも真なりとして受け入れる立場である。



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