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詩109篇/B

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瞑想Ps109/B

◆この詩篇109篇は、いわれのない悪意に対して神に復讐を求めるめずらしい詩篇です。特に、6節から20節まではそうで。「ゆえもなく」、これといった正当な理由もなく、善に変えて悪を、愛に変えて憎しみを自分に報いようとする者たちが存在します。どんなに深く心傷ついたことでしょうか。ただ祈るしかできない。しかも神はじっと沈黙しておられる。このような苦悩の中にも、宝石のように輝くものがこの詩篇の中にあります。それは最後の節(31節)「主は貧しい者の右に立ち、死刑を宣告する者たちから、彼を救われる」ということばです。しかもそこでは「私」ではなく、「彼」と一般化されています。

◆この31節の告白は、この詩篇のポイントだと信じます。ここには<祈りの昇華>が見られます。<昇華>とは、弁護者としての主の存在への<気づき>(31節)です。使徒パウロもこの気づきを経験しています。彼はローマ人への手紙8章30~39節で、
①神に選ばれた者を訴えるものはだれか。神が義と認めてくださるのだ
②罪に定めようとするのはだれか。私のために死に、よみがえってくださったキリスト・イエスが神の右に着き、とりなしてくださるのだ
③キリストの愛から引き離すのはだれか。何ものも、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのだ と圧倒的な勝利を宣言しています。

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