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詩140篇/B

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瞑想Ps140/B

◆私は、中学校の評議員(校長に対するご意見番のような立場)をしているので、しばしば学校の授業を参観します。ある日、2年生の社会科の授業を参観しました。授業の内容は、日本の戦国時代における「下剋上」というテーマでした。下の者が上の者たちに打ち勝って(といっても戦場での戦いではなく)、一国一城の主となった大名たちの話でした。その授業の最後に、担当の教師は生徒たちに問いかけました。ある大名の名前を上げて、この人は人々から「まむし」と呼ばれたが、みんなそれについてどう思うかということでした。私はその問いかけについてとても面白く思いましたが、生徒たちがこの問いかけが意味することを深く考えることがなかったということと、深く突っ込んで考える時間がなかったということで、残念に思いました。「まむし」と呼ばれた大名―この表現はその時代の人々が当時の世相をどのように考えていたか、的確に表わしたように私には思われたのですが。・・・。

◆詩篇140篇3節にも「まむし」が登場します。「蛇のように、その舌を鋭くし、そのくちびるの下には、まむしの毒があります。」この詩篇には、「よこしまな者」(1節)、「暴虐の者」(1, 4, 11節)、「悪者」(4, 8節)、「高ぶる者」(5節)、「私を取り囲んでいる者の頭」(9節)、「そしる者」(11節)といった表現がでてきます。作者はこうした者たちに取り囲まれていたことが分かります。彼らの特徴は、口、舌、くちびるで戦いを仕掛けてくるということです。その中に「まむしの毒」という表現があります。「まむし」と訳されたアフシューヴはここだけに使われていることばです。使徒パウロもローマ3:14で、詩篇140:3を引用し、「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり・・。」としています。「義人はいない。一人もいない。」というその罪の実体として、「のど」「舌」「くちびる」「口」と関連させています。そこに罪の苦々しさが表現されています。〔

◆新約時代で「まむし」というあだ名をつけられている者たちがいます。マタイ3:7では「パリサイ人、サドカイ人」に対して、マタイ12;34では「パリサイ人」に対して、マタイ23;33では「偽善の律法学者とパリサイ人」に対して語られ、神の御怒りを免れることはできないことを断言されています。

◆詩篇140篇で作者が一番言いたいことは何か。それは「よこしまな人」、「暴虐な者」、「悪者」、「高ぶる者」、「自分を取り囲む者の頭」、「そしる者」、このような者たちの「願いやたくらみを遂げさせないように」、「地上で栄えないように」ということです。と同時に、「悩む者」(アニー)、「貧しい者」(エビィヨン)は、そうした社会の中で、主を信頼して、主は「必ず、自分たちの訴えを取り上げて正しいさばきをしてくださる」ことを確信して、「感謝し」つつ、主のうちに「住む」ことだとしています。

◆この詩篇は、この世の不条理の中にも、主の正しいさばきが成されることを信じながら、どこまでも主を信頼して生きるよう励ましてくれています。



◆新改訳聖書では、「まむし」と訳されたことばは、詩篇140:3の他に8回出てきますが、毒蛇(コブラ)のことを意味する「ペテン」פֶּתֶן、まむしの一種の「ツェファー」צֶפַעと、「サーラーフ」שָׂרָףも、「まむし」と訳しています。蛇は必ずしも「毒」をもつものばかりではありませんが、「まむし」はみな毒をもっています。

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